「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

女好き

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私は女好きだ。


だけれども好きの思いが報われないから、

「女性不信」を装っている。


本当は好きになりたいのに、

好きになってもらいたいのに、


傷ついてばかりだから、

これ以上傷つかないようにって、

「女は信じられない」だなんて、

ATフィールドを全開にして拒絶する。


だけれども心は女性を求めている。


うまくいかなくて傷つくことがその証拠、


心を通わせたいのにすれ違い、

好きになりたいのにそれが適わない、


だから、

自暴自棄になって、

「どうせうまくいかない」って言い聞かせて、

うまくいかなくても、

心のどこかで安心している。


それではどうしたってうまくいかない。


理解不能な生き物、

それは当たり前、


だからってそれを恐れて、

身構えながら接したところで、

相手だって身構えてしまう。


前に友人から言われた言葉、


「ますをは誰がどう見たっていい人なのだから、

自然に接していれば嫌われることはないんじゃないの」


「私は女好きです」って、

伝わるくらいがちょうどいいのかもしれない。


伝えようとしたところで、

うまく伝えられるわけがないのだから、


だから、

もっと仲良くなりたいって、

女の子と近づきたいって、

いい匂いをかぎたいって、

肌に触れたいって、


もっとガツガツいけばいいのかもしれない。


もともとフリーだけれども、

本格的にフリーになった。


もはやなんのしがらみもない。


誰に気兼ねするでもなく、

自由に女性を求めればいい。


裏切ったとか、

裏切られただとか、

そんなことは後から考えればいい。


マダムと接するように、

自然と懐に入って、

女たらしを自認するくらいがちょうどいいのだろう。

 

もっと楽しく生きればいい。

 

4つの大きな恋④

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ようやく少し気持ちの整理が付きました。

少しずつ書き上げました。

 

はっきり言って長いし雑多です。

ご了承ください。

 

 

初めて会ったとき、

「すごい可愛い子がいるなぁ」

そんな印象でした。


だけれども、

年だって離れているし、

こんなに可愛い子だから、

全く恋愛対象としては見ませんでした。


何度か飲み会で一緒になり、

彼氏がいることはわかっていたし、

転職したばかりで仕事に集中したかったし、

そもそも「人を好きになる」感情が枯渇していた私には、

意識のイの字もありませんでした。


ある時、飲み会で、

彼女が先輩に絡まれていたことがありました。


彼女が「彼氏がいる」って伝えると、

「どうせろくでもない彼氏でしょ」って、

サッと流れる不穏な空気、

 

ちょうど隣に座っていた私が機転を利かせて、

話をそらして彼女は席を離脱、

始まりはそれだったのかもしれません。


私の方は相変わらずでしたが、

思えばそのあたりから、

飲み会の度に近くに座られたり、

対象でもない飲み会に誘われたり、

LINEグループに招待されたり、


研修のときも、

やけに絡まれて、

やたらと写真を撮られたり、

気がつくといつも近くにいました。


私が意識したのはその頃からでしょうか。


「こんなに若くて可愛い子が、まさかな」


そう思いながらも、

気持ちは膨らみ始めて、

どんどんと意識するように、


会うだけで嬉しくて、

向こうも見かけると犬のように寄ってきて、

帰りに私のことを待っていて一緒に帰ったり、


体調を崩して辛い時期が続いたけれど、

彼女がいたからそれを乗り越えられたのかもしれません。


ある時に誘われた飲み会、

席はあいにく対角線、


「席が遠くて話せないですね」

なんて言われながら、

正面には後の旦那、


ターニングポイントは間違いなくこの時でした。


帰りに2人で電車に乗る姿、

それを見ながら感じる悪い予感、


この辺りから彼女は、

私のことをやけに避けるようになりました。

分かりやすいくらいあからさまに、


気持ちを抑えられないのが、

傍目にわかるくらいにそわそわされて、

あれだけ寄ってきてたのに逃げられて、


そこから歯車は一気に狂いました。


決定的な避けられ方をしたから、

 

一日仕事が手につきませんでした。

どうにかしないとと思って、

「一緒に帰ろう」と提案、


ずいぶんと待って、

断りの返事、


それでも諦められなくて、

翌日も改めて提案、

それに対しても断りの返事、


この時点で脈はないと思いながらも、

ハッキリとさせるために、

「今度ご飯に誘ってもいい?」と確認、


その返事は、

「彼氏がいるのでごめんなさい」


そこからはこじれにこじれて今に至ります。


ものすごい避けられたり、

挨拶を無視されたり、

かと思えば、

気持ちを抑えられないかのように、

近くをうろちょろされたり、

何がしたいのかよくわからない。


そして彼氏の方からも避けられて、

挨拶しても無視されたり、

すれ違っただけでため息をつかれたり、

取り巻きからも避けられたり、


私の方もなるべく関わることはやめていました。

もちろん仕事はきっちりとやります。


とても辛そうにしている時期があったり、

やけに言い寄ってくるような態度をされたり、

気持ちを抑えきれないかのように、

挨拶をしただけで走り去られたり、


続いているのかもわからないから、

そんな態度に変に期待したり、

「ないでしょ」って自分に言い聞かせたり、

悶々とし続けていました。


そんなことが2年ほど続き、

今年に入ったあたりからでしょうか。


やけに愛想良くなって、

頻繁に顔を見せるようになって、

距離を縮めようとしてきます。

二人が計ったかのように同じタイミングで、


結婚が決まったのでしょうね。


このままだとバツが悪いから、

なんの落とし前もつけないで、

何もなかったことにしようとしたのかと、


とてもイライラしました。

 

案の定の令和婚、


私が態度を変えないと逆戻り、

結局こじれたまま今に至ります。


もはやどうでもいいと思いたい。

私の人生には関係のない人だから、


だけれども顔を見るだけでイライラする。

「生理的に無理」というやつなのでしょう。


こんなのに消耗するだけ人生の無駄、

そう思います。


仕事と割り切って、

関わらなくて済むならば、

関わらないようにして、

丁寧に落ち度のないように、

壁を作りながら、

そう過ごします。


これ以上、

面倒なことに巻き込まれたくはない。


だから振り返るのはこれで最後にしよう。

結局は縁がなかったのだから、


ずっと、

どこかで後ろ髪を引かれていました。


相手の対応が不可解だから変に期待して、

だけれどもこれで断ち切れました。


ようやく呪縛から逃れることができて、


0.1%が0になっただけ、

だけれどもそこまでがとても長かった。


気持ちがあるものだから、

別の人と会っていても、

心の何処かに「不誠実さ」を感じていて、

形だけの対応をしていたように思います。


だけれども、

これでようやく前に進める。


これで終わりではなく、

ここからがスタート、


幸せになりたい。

幸せになろう。


あの子に負けないくらいに、

 

不幸自慢

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「これ以上何を失えば、心は許されるの」


そんなヒロイズム、


自分の価値を確かめるために、

「この失恋はとても大きなものだった」

そう思い込む。


何が変わるわけでもない。


自分のことが大好きだから、

いつだって自分で自分をお膳立て、


なんともご都合のよろしいことで、

涙が出てきてしまうほど、


「自分の人生は自分が主役」


だけれども、

そうドラマティックにばかり演出していたら、

心が疲れてしまう。


時には手を抜いたっていいじゃない。

むしろ大抵は手を抜いていたって問題ない。


真剣に生きることって、

深刻に生きることではない。


苦しみや悲しみを避けては通れないけれども、

喜びや楽しみだってたくさんあるはず、


それを遠くに追いやって、

「私はこれだけ傷ついています」だなんて、


みんなに傷を見せびらかしたところで、

そのうちみんなうんざりしてしまうでしょ。


「不幸自慢」


自慢できることが不幸しかないのならば、

そこから抜け出して、

その努力を自慢にすればいい。


不幸に存在価値を委ねてしまうと、

もっと不幸が舞い込んでくる。


そして不幸が舞い込んでくるたびに、

「それ見たことか」って、

苦しんでいるようで安心する。


不幸なしでは生きられなくなってしまうのだ。


「不幸に依存するな」


誰だって、

大なり小なり不幸を抱えている。


それを笑い飛ばして生きている人だっている。

そういう人のほうが魅力にあふれている。


だから、

いつまでも不幸にすがって過ごしていたって、

また新しい不幸が現れるたびに、

それに安心して生きるだけ、


どこかで変わらなければいけない。


不幸が舞い込んできたら、

心の底から苦しめばいい。


ここから這い上がってやるって、

それを原動力に変えればいい。


誰よりも幸せになるんだって、

そう決めて生きていればいい。


思い通りに行かなくて、

不幸の上に不幸が重なることもある。


だけれども、

頑張ってしあわせになろうとしている人の周りには、

必ず助けてくれる人がいるから、


だから、

その人達に存分に助けてもらって、

存分に感謝して、

今度は存分に助けてあげればいい。


「誰だって幸せになりたい」


だけれども、

それ以上に無価値であることが怖い。


「無価値よりも不幸のほうがマシ」


不幸が重なると、

そこから抜け出す気力もなくなって、

そう思ってしまいがちだけれども、


もしそう思って生きているならば、

それは間違っている。


それは間違っているよ。

絶対に、


苦しんだ人ほど、

幸せになる権利があるのだから、


そういう世の中になればいいのに、

不安は心のサイン

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心と行動の距離が離れてしまうから、

それを教えるために体が出す信号、


それが不安、


憎しみたくないのに憎んで、

恨みたくないのに恨んで、

そんなものを目指しているわけではない。


それで誰かを追い込んだところで、

虚しくなるだけ、


理想の自分、

そこからの距離があまりにも遠くなると、

心は「不安」で教えてくれる。


そっちじゃないよって、


だから、

とんでもなく不安になった時、

恐ろしくなった時、

一度立ち止まって考えたほうがいい。


心は教えているはずだから、


その機能がバカになってしまうと、

どんどん人間からかけ離れてしまう。


弱くて脆い生身の人間、

自分だって誰かだって、

同じ弱さを抱えている。


いくら強く見せたって、

困難を乗り越えて、

強くなったように思えたって、

心の柔らかい場所は柔らかいまま、


誰だってそうなんだ。


その心の柔らかい場所を守るようにして、

弱みを見せないようにして、

不安を押し殺して、


そうやって無理をして、

人の痛みに鈍感になって、

自分の痛みにも鈍感になって、


人ではない何かに変わっていく。

気がつかない速度でゆっくりと、


だから、

不安を遠ざけてはいけない。

耳を傾けて立ち止まらなくてはいけない。


不安は教えてくれるはず、

本当はどうなりたくて、

なにを求めているのかってことを、


長く辛く苦しい夜に、

そのことに気がつけたことに感謝、


優しくなりたい。


傷つけられても、

その憎しみを振りかざす相手はいないほうがいい。


誰かを傷つけて、

そんなことで満足するような人間もどきにはなりたくない。


「優しいだけが取り柄」


所詮そんな男なのだから、

唯一の取り柄を大事に抱きしめて生きればいい。

 

鈍感になりたい

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人のいいところしか見えないくらいに、

食い物にされていることに気が付かないくらいに、


鈍感になりたい。


要らぬことに頭を悩まさなくて済むから、

心を傷つけられずに済むから、


だから、

鈍感になりたい。


だけれども、

鈍感に染まってしまうと、

知らないうちに誰かを傷つけてしまう。


それに気がつくこともできずに、

気がついたときには手遅れで、


それじゃあ、

あいつと同じになってしまう。

嫌いなあいつと、


鈍感になりたい。

だけれども人の痛みには鈍感になりたくない。


そのためには、

たくさん傷ついた経験をしなければならない。


だから、

今の苦しみはそのためのもの、


心を閉じてしまうと、

眼の前にフィルターが現れて、

何もかもが色あせて見えてしまう。


鈍感になって、

心をさらけ出して、

もう一度、世界の美しさに目を瞠って、

世界を信じられるようになって、


人の悪意や不誠実さ、

身勝手さ、


そんなものなんてものともせず、

悠々と生きていきたい。


だから私は、

自分の心に正直に、

人の痛みには敏感に、

そして人の視線には鈍感になりたい。


誰からどう思われたっていい。

私らしく生きるのだ。

恋愛に向いていない

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すべては相性、

運と縁、

気兼ねなく居心地のいい人、


年が離れていても、

惹かれ合う人はいる。


年が同じでも、

全く合わない人もいる。


「こんなに若くて可愛い人と付き合えるチャンスはもうないだろうな」


そのチャンスを逃してから、

なんだかその呪縛から逃れられていない気がする。


謎のモテ期、


変にもてはやされたから、

勘違いしてしまったようだ。


一度そんな経験をしてしまったものだから、

自分のハードルを上げて、

目隠しされて、


地に落ちていた「男としての価値」を爆上げしてしまった。

急騰したものはいつかは落ちる。


「栄枯盛衰」


なんだか変に自信を持っていたから、

変なのばかり寄ってきたけれど、

先に進むだけの覚悟もスキルもないものだから、

こじれるだけこじれて離れていった。


この数年で一体どれくらいのチャンスを逃したのだろうか。

思いつくだけでも片手では足りない。

(すべて勘違いかもしれないが…)


それだけの人とのチャンスを前向きに捉えるべきか。

自分の甲斐性のなさを恨むべきか。


私はどう考えても恋愛には向いていない。

 

自然に出会って惹かれ合っても、

先まで進まない。


目的を同じくして紹介されると、

目的ばかりが先行して、

変に構えてしまう。


今更だけれども、

場数を踏むしかないのか。


自分で考えないで、

大きなものに寄り添って生きてきたから、

努力しているようでも、

誰かの価値観で生きてきたから、

だからこういうことになるのだろう。


「恋愛」にはマニュアルはない。

誰かがやり方を教えてくれるわけでもない。

自分で自分のやり方を見つけるしかないのだ。


「とりあえず先に進みたいから」って、

みんな若いうちはそうやって経験を積んできたのだろう。

 

だけれども「誠実」を盾にして生きてきたから、

そこがすっぽりと抜け落ちてしまっている。

 

今はその空洞を埋めている最中なのかもしれない。


恋愛に楽しい思い出なんてほとんどないが、

苦い思い出で空洞を埋めて、

その上から砂糖をまぶすように、

甘い恋で彩ってあげればいい。


とにかく空洞を埋めるのだ。

苦かろうが辛かろうが、

空洞を埋めないことには先に進めない。


「必要なこと」

 

この苦しみは避けては通れないことなのだ。

そう自分に言い聞かせないと、

あまりにも辛い。


みんなが経験してきたことを、

するべきときにしなかったから、

だからその分、苦しんでいる。


「必要なこと」


そうやって前に進んだ気になっていれば、

いつの日か、

誰かを選んで誰かに選ばれる。

 

運と縁によって結びつき、

世界中でたった一人の人と、

電流の走るがごとき恋に落ちて、

 

そういうのって、

どちらかといえば馬鹿にしてきたけれども、

そう信じて生きていきたい。


そうでないと、

あまりにも辛いから、

 

私のことも信じられませんか?


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※④の執筆は、

気持ちを落ち着けるのに時間がかかるため、

少し別の記事をはさみます。

 


ふと思い出したこと、


先輩行きつけの飲み屋に連れて行ってもらったときのことだった。


先輩を介して常連の女性と仲良くなり、

いろいろと女性関係で悩んでいることを話した。


話の中で、

「女性を信じられない」と口にした私に、

常連の女性からの一言、


「私のことも信じられませんか?」


続けて彼女はこういった。


「そう思っていたら、

ホントに好きになってくれた人がいたときに、

相手に対して失礼ですよ。」


そのとおりだな。


一部の不誠実さを盾にして、

すべての女性を否定している私の一言、


心のうちではそこまで思っていないけれども、

「言葉」はそれを形にしてしまう。


一回りくらい年上の人だった。


だけれどもとても純粋で、

傷つきながら言葉を大事に生きてきた人なのだろう。


結局2回しか会っていないけれども、

そういう印象の人だった。

 

少し気持ちを落ち着かせないと、

体がもたないな。