私は女好きだ。
だけれども好きの思いが報われないから、
「女性不信」を装っている。
本当は好きになりたいのに、
好きになってもらいたいのに、
傷ついてばかりだから、
これ以上傷つかないようにって、
「女は信じられない」だなんて、
ATフィールドを全開にして拒絶する。
だけれども心は女性を求めている。
うまくいかなくて傷つくことがその証拠、
心を通わせたいのにすれ違い、
好きになりたいのにそれが適わない、
だから、
自暴自棄になって、
「どうせうまくいかない」って言い聞かせて、
うまくいかなくても、
心のどこかで安心している。
それではどうしたってうまくいかない。
理解不能な生き物、
それは当たり前、
だからってそれを恐れて、
身構えながら接したところで、
相手だって身構えてしまう。
前に友人から言われた言葉、
「ますをは誰がどう見たっていい人なのだから、
自然に接していれば嫌われることはないんじゃないの」
「私は女好きです」って、
伝わるくらいがちょうどいいのかもしれない。
伝えようとしたところで、
うまく伝えられるわけがないのだから、
だから、
もっと仲良くなりたいって、
女の子と近づきたいって、
いい匂いをかぎたいって、
肌に触れたいって、
もっとガツガツいけばいいのかもしれない。
もともとフリーだけれども、
本格的にフリーになった。
もはやなんのしがらみもない。
誰に気兼ねするでもなく、
自由に女性を求めればいい。
裏切ったとか、
裏切られただとか、
そんなことは後から考えればいい。
マダムと接するように、
自然と懐に入って、
女たらしを自認するくらいがちょうどいいのだろう。
もっと楽しく生きればいい。