「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

理想の女性像

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いろんなシチュエーションはある。


理想の彼女だったり、

理想の結婚相手だったり、

不誠実な関係まで含めればキリがない。


そうやって一人を選ばずに細分化して、

「理想」というものを明らかにしすぎるから、

結婚は遠のくのかもしれない。


だからこそ、

あえて全ての根幹となる、

「理想の女性像」

それに絞ってみる。


それを聞かれた時に真っ先に思い浮かぶのが、

ナウシカ

「風の谷のあの人」である。


基本的に女は保身に動く生き物、

今はだいぶ変わっても、

内助を生業をしてきたものだから、

リスク回避のためならばバッサリと切り捨てる。


その変わり身は見事なもの、

秋の空もビックリだ。


一括りにするのは強引かもしれないが、

そういう人が比較的多い。


母性にも限界があるから、

母性の安売りはしないのだろう。


経験からそういう姿を嫌というほど見てきたから、

勇敢な女性に惹かれる。


慈愛にあふれていて、

他人のために自分の身を危険にさらすことを厭わない。


「姫様」「姫姉さま」

誰にでも慕われる優しさと、

大切なものを守るための強さを持ち合わせている。

 

抑えられない怒りに身を晒した時に、

「自分が怖い」と嘆く姿は、

人として忘れてはいけないもの、


人も動物も昆虫も植物も分け隔てはない。

世界を慈しみ、世界を憂う。


母性の象徴みたいな存在、

まるで聖人のようだ。


おまけに胸が大きい。

さすがは宮崎駿監督だ。


人の業により世界は腐海と呼ばれる毒地に侵食され続ける。

そんな世界の覇権をめぐる大国の争いを尻目に、

世界を慈愛で包み込む一筋の光、


やがて明らかになる。

腐海は再生への過程だということが」


世界を破壊し尽くしても、

なおも争い続ける人の業、


何十年も前から、

世界の行く末は危惧されていた。


愛機メーヴェは後継者のテパに託されて、

ナウシカは森へと消えていく。

「世界を照らす光」としての役割を終えて、


映画の方はほんの一部、

原作の方は読み応えがある。


部屋のどこかに眠っているはず、

引っ張り出してみようかな。


ナウシカに恋をしてしまうかもしれない。

 

昼下がりに公園を散歩して、図書館に併設されたカフェで優雅に時を過ごす

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その日はそんな一日だった。


女子大の前を通り、

入試を受ける女子高生を横目に公園へと向かう。

休日なのにご苦労なことで、


「試験を受ける」


誰かに試される機会は増えたけれども、

カジュアルな資格試験を除いて、

そのような機会には久しく臨んでいないな。


彼女達からしたら、

この日は特別な日、

一大イベントなのだろう。


門の外で電話をかけている。

おそらくは支えてくれた「家族」に、


公園に入ると、

肌寒さを感じながらも、

嬉々として体を動かす子供たちの姿から、

「無邪気さ」のカケラを頂戴する。

 

親子のスキンシップ、

愛情をたくさん注がれて、

世界を疑うことなく生きている。

 

それって当たり前のようで、

とても素敵なこと、


図書館に着く。

最近手を出したロシア文学から一冊を選び、

亜麻色のショートカットが映える乙女の隣でページをめくる。


少しばかり時を重ねると、

乙女が席を立つ、


それをきっかけに、

なんだかコーヒーを飲みたくなり、

併設のカフェへと向かう。


一杯500円のちょっとした贅沢か。

窓際の席について注文を済ます。


ふと窓の外を覗くと、

ピクニックシートの上で、

父と子が戯れる姿を微笑ましく見守る母、


「家族のカタチ」


そういうものを目の当たりにして、

すぐさま差し出された、

熱いコーヒーに口をつけながら、

愛しい人の唇を思い浮かべる。

二度と重ねることはないであろうその唇を、


「家族のカタチ」


私の未来にそういうものは訪れるのかな。


そんなことが頭を過ぎると、

少し冷ましたコーヒーを一気に飲み干す。

 

会計を済まして、

借りたロシア文学を小脇に抱えながら、

窓の外に並ぶ「家族のカタチ」を横目に、

また日常へと戻っていく。


スーパーで買い物をして、

帰宅をしたら部屋の掃除、


録画して置いたままにしていた、

万引き家族』のことを思い出す。

 

それを見て、

「家族のカタチ」

図らずもまたそれに想いを馳せる。


何かを暗示しているのかな。

なんだか「家族」がテーマの一日、


血のつながりよりも心のつながり、

もちろんそれが合致すれば、

自然なのかもしれないけれど、

 

同じ是枝作品の『そして父になる』では、

倫理的に「血のつながり」を選択する。

 

だけれども割り切れない。

親も子供も、

 

「家族のカタチ」

その多様性はますます進むだろう。

 

いずれにしても、

「誰かと心が繋がっている」

そう思えるだけで世界に居場所が生まれる。

きっとそういうもの、

 

物憂げな女の子を写して、

問題提起のように締めくくるラスト、

タルコフスキーの『ストーカー』を思い出した。


そうやってすべての人に居場所が生まれたらいいのにな。


帰るべき処がある。

それだけで人は追い詰められなくて済む。

それを忘れないで生きたい。


なんだか穏やかだけれども刺激的な日、

示唆に富んだ一日だった。


王蟲、森にお帰り!

 この先はおまえの世界じゃないのよ!

 ねぇ、いい子だから!」


なんだか、姫姉さまから、

そう言われているような気がした。

 

酒を飲むと本性剥き出しになる

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普段はセーブしているのだけれど、

久々にだいぶ飲んだな。


私は飲んだら饒舌で良い奴になる。

そして女性に対しての欲望剥き出しになる。


日常でよほど我慢しているのだろうな。


余計なことは言わないようにしている。

責任ばかり増えるから、


無闇に優しくしないようにしている。

面倒なことに巻き込まれるから、


そして女を求めている。

心が渇いているから、


本来の私はきっとそういうものなのだ。


それを理性という名のオブラートに包んで、

「ビジネスだから」だなんて、

クールな紳士を気取っては繕って、

一体何をしているのだろうな。


オブラートが溶けるまでに時間がかかるから、

みんな愛想を尽かして他へ行ってしまう。

それもまた考えものだな。


別に優しくしたいだけすればいい。

責任を負うかどうかは後から考えればいい。


魅力的な女性がいたら、

全力で口説けばいい。

玉砕したところでその場限りのこと、


それをいつだって自分を抑え込んでさ。

惨めな思いばかりして、

前に進まない理由をきれいに並べては、

それを丁寧に吟味して時間を稼ぐ。


いつも一緒に居たかった。

隣で笑ってたかった。

季節はまた変わるのに、

心だけ立ち止まったまま、


そうやって過去に足を引っ張られて、

今までの痛みは、

より素敵な人との出会いに必要なことだって、

自分に言い聞かせて、


MのページはLINEの履歴に残ったまま、


星が森へ帰るように、

自然に消えてくれないかな。


敵わない想いなら、

あなたを忘れる勇気だけ欲しいよ。


心を解放するのが怖い。

自分でもどこにいってしまうか分からないから、


あの子以上に心惹かれる人に、

これから先、出会うことがあるのかな。


女が欲しい。飢えている。


欲望剥き出しで接してみればいい。

その方が案外うまく行くかもしれない。


草食はもう卒業かな。


そんなに簡単に行けば、

こんなにこじらせてはいないのだけれども、

 

脳内リソースの無駄使い

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特に大きな事があったわけではないけれど、

なんだかとてもイライラする。


人生で一番嫌いになった人のことで、


避けられてもイライラするし、

距離を詰めようとされてもイライラする。

もはや存在を認識するだけでもイライラする。


小さなことの積み重ね、


しばらくは夢中になれることがあったから、

イライラは落ち着いていたけれど、

少し体の方が落ち着いたら、

今度はイライラの方が始まってしまったな。


無駄だとわかっているのに、

思考のリソースを割いては、

負の感情が増幅するだけ、


「生理的に無理」


それってこういう事を言うのだな。


なにかに夢中になりたい。

そして報われたい。


現状を幸せだと思えないから許せない。

満たされないから惨めになる。


病理はそこにある。


理解はしているけれど感情は止められない。

今の私の一番の関心事がそこにあるということだろう。


自分が満たされないからって、

何年も前の「裏切り」に固執して、

ただただ不幸になるためにリソースを無駄遣い。


確かに始まりはそこにあるんだけれども、

現状を作っているのはそこから積み重ねた選択の結果、


それも理解している。

だけれども感情は止められない。


いい加減になんとかならないものかな。


「嫌いってことは気になるってこと」


早くどうでもいい人になってくれないかな。

そうでないとダークサイドに落ちるのは時間の問題、


負の感情ばかり増幅されて、

暇さえあればイライラして、

相手を嫌う自分のことまで嫌いになって、


「助けて、オビワンケノービ、あなただけが頼りなの」


そう願ったところで、

誰も助けてなどくれない。

紅に染まったこの俺を慰めるやつはもういないのだ。


「どうでもいい」


心からそう思えるくらいに満たされたい。


誰かを憎んだり避けたり、

それってとても労力を使うこと、

そして報われることなんてない。


だけれどもそうせざるにはいられない。


許せないから満たされない。

満たされないから許せない。


物理的に距離を置きたいけれど、

そういうわけにもいかない。


「早くいなくなってくれないかな」


そう願うくらいならば、

自分がそこから抜け出したほうが良いのかな。


もはや詰んだ。

「投了します。はい。終わり」

それで済めばいいけれどそうもいかない。


「君の敗因はメモリの無駄遣い」


ヒソカさん、

その通りです。


救われたい。

 

砂の女

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安部公房砂の女

ふとしたきっかけで手にとってみたけれど、

とても示唆に富んだ面白い作品だった。


男には妻がいる。

だけれども関係は冷え切っている。


教師という仕事もある。

だけれども人間関係は希薄だ。


日常に飽き飽きしていて、

唯一の楽しみは趣味の昆虫採集、


その唯一の趣味に興じるために、

誰にも行き場を伝えずに出かけた先で、

思わぬ事件に巻き込まれる。


新種の昆虫を求めてたどり着いた先で、

砂にまみれた辺境地に幽閉されることになる。


そこであてがわれた同居人は、

やつれながらも「女」を感じさせる妙齢の女性、

自由を諦めながらも生命力に溢れている。


砂嵐が吹きすさぶ土地、

逃げられないように外から監視されている。


村が砂に埋れないように、

雪かきならぬ砂かきが日常作業になっている。


周りを気にする必要もないので、

一糸まとわぬ姿でそれに取り組む女の姿に、

関係が冷え切った妻とは違う「女」を感じて、

罪悪感を感じながらも関係を持つようになる。


退屈に思われた辺境地での生活、


ところがもとの生活に嫌気が差していたものだから、

自然とそれを受け入れるようになる男、

次第に女と家族同然の生活をするようになる。


ささやかな生活の中に喜びを見出して、

逃げ出す術を見つけても、

そこに居着くようになる。


男の行政上の立場は、

「失踪」から「死亡」へと変わる。


そうして幕を閉じる物語、

結局、人というものは「晴耕雨読」に満たされる。

そんなテーマ、

 

ハンターxハンターのキメラアント編で最後に読まれた詩を思い出す。


冷え切った社会関係よりも、

ただ必要とされることで満たされる。


どんなに立場があっても居場所がない。

そういう人はたくさんいる。


人は必要とされないことを恐れるから、

立場を守ろうと必死になる。

その結果として冷え切った関係を手に入れるのだ。

なんとも皮肉なもの、


必要とされる役割がある。

必要としてくれる異性がいる。


黙々と体を動かして、

人としての営みをしながら時を重ねる。

むしろそれが自然なのかもしれない。


不自然なものに囲まれて、

不自然な人間関係をいくつも結んで、

その一つ一つに右往左往して、


人の幸せって、

もっとシンプルなのだろう。


必要とされる。

だから満たされる。


きっとそういうもの、


利害関係でも良い。

たまらなく必要とされる。

それも魅力的な異性から、

それも自分以外には救うことはできない。


とても支配的な関係、

相手を支配したい気持ち、

そういうものはわからないでもない。


きっとそれだけで、

満たされてしまうのだろうな。


優位に立たされているように思うだけで、

うまくコントロールされているだけなのだけれども、


男をうまくコントロールするには、

自尊心をくすぐってあげるだけでいい。

なんともお手軽なものだ。


貧しくても役割があって、

必要としてくれる人がいて、

しかもそれが魅力的な異性で、

なんだか羨ましく思う。


行き場のない人達に行き場を与える事業、

そういうのをビジネスモデルにしたら儲かるんじゃないかな。


立場や収入ではない。

家族って関係も移ろいやすいもの、


幸せって難しい。

 

コンクリートジャングルを巣にしている生き物

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人の生態は哺乳類よりも昆虫に近い。

そんな話を聞いたことがあったな。


いくら飲み込んでも決して満たされない、

そうやって次々に人を食らう満員電車、


「飽食」の象徴みたい。


「これ以上は入らないよ」って誰が見てもわかるのに、

1分1秒を争って駆り立てられるように躍起になる。

電車に食われることに、


何かに食われた心と体は、

どこへ行ってしまったのだろう。


「自然との調和」


それに取り組んでいますよって、

そうアピールしているみたいに、

申し訳ない程度に生えた木々、


それを取り囲むように、

見渡す限りの人工物、


その人工物に至る道筋は、

まるでレールが敷かれているみたいだ。

 

「そこ以外は歩いてはいけませんよ」って、

どこかにそんな看板でも立っているのかな。

 

きれいに列を作って、

レールの上を歩きながら、

人工物に吸い込まれていく人たち、


「これが生きるってこと」


生活をするために、

ある意味では生活を捨てているのかな。

 

考える気力すら失って、

足が勝手に動いている。

ただただお決まりの時間にお決まりのルートを辿って、

お決まりの作業をして、

だいたいお決まりの時間になるとそれを切り上げて、

またお決まりのルートを辿って帰る。

 

一日のほとんどはお決まりなのだ。


不自然なものに囲まれることが当たり前になっているから、

不自然な心の変化にも気が付かないのかな。

そうやって手遅れになってしまう。


いくら周りのことで忙しいからって、

自分のことは自分で面倒見てあげないと、


周りは面倒見てくれないよ。


同じように電車に詰め込まれて、

同じように列を作って、

同じ人工物で長い時間を共有しても、

多くの人とは心の距離が縮まることはない。


「誰かと繋がりたい」

そういう欲求はみんなが持っているはずなのにね。


リアルヒューマン、


文字や写真だけではなくて、

直接のぬくもり、


そういうものに対する欲求はきっと、

どこまで行っても人生から切り離すことはできない。


毎日これだけ多くの人と触れ合って生きているのに、

関わるのはほんの少しだけ、

なんとも奇妙な生態を持つ生き物だ。


世の中が便利になるほどに、

どこかの機能が麻痺してしまうから、

欲求がいびつに歪んでしまう。


「人とのふれあい」


そういうものにもっと正直に生きられたらなぁ。

傷つくことを恐れずに信じることができたらなぁ。


私はもはや手遅れかもしれないけれども、

そういう未来になればいいと思う。

 

今日はお決まりから、

少しだけ外れてみることにするかな。

 

私のおっぱい論 〜大きい方がいいの?〜

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最近少し騒がしくなっているけれど、

永遠のテーマと言っても良いのかもしれない。

 

大きい方がいいのか。

小さい方がいいのか。

そう。女性の胸についてだ。

 

「良い悪い」ではないな。

それでは男の主観が過ぎる。


先に宣言しておくが、

私は大きい胸に惹かれる。

 

もちろんそれが全てではないけれど、

単純に大きいと目を奪われてしまう。

それが惹かれている証拠、


理由は特に思いつかないけれども、

本能的なものなのだろう。


「ただの脂肪の塊なのにね」


そう言われたって、

惹かれるものは惹かれるのだから仕方がない。

話していても自然と顔から目線が下に行ってしまうことがある。

そういうのって気が付かれているらしい。


そしてそのたびに「男って…」

世の女性はそう思っているのだろう。


だけれども仕方のないこと、


男と女は違うから惹かれ合う。

セックスシンボルを目印にして、

「確かに異性だ」って、

わかりやすいものに引き寄せられる。

 

男は特にそうなのだろう。

目に見えるものだけが真実とは限らないのにね。

視覚を頼りにするものだから、

簡単に騙される。


そして人は「好奇心」という魔力に心を奪われる。

普段は露わにしないその先に待ち受けているもの、

そういうものに惹かれるのだ。


みんな服なんて着ない裸で、

それが当たり前の世界だったら、

きっと必要以上に意識することなんてないはず、


だけれども我らの文明には羞恥心がある。

それが性差に対する自意識を助長しているのだろう。


長い髪だったり、

血管の浮き出たゴツゴツした手だったり、

くびれたウエストやたくましい筋肉、

あそこの大きさを気にする女性だっているわけでしょ。


性差というもの、

挙げればキリがない。


「自分にないものを持っている」


神秘的だ。

だから惹かれる。

そういう理屈、

 

もちろんそれはヘテロセクシャルの視点だと断っておく。


だけれども気をつけなければならない。

「大きすぎる」といけないのだ。


思いも寄らない大きさに直面した時に、

図らずも人は萎縮してしまう。


そしてこう考える。


「自分の手に余るな」


「好奇心」よりも「現実感」が上回ってしまうのだ。

そうなると正当化するための理由をつける。


「小さい方に惹かれる」

そういう派閥が生まれる。


人は経験を信仰する生き物だから、

一度そう思ってしまうとなかなか拭えない。


生まれた時から「小さい方に惹かれる」

そんな男はいないんじゃないかな。

何かしらの経験を経てそうなるのだ。


自らのコンプレックスに起因するものだったり、

何かのきっかけで目覚めたり、


きっとそういうもの、


タイトルに話を戻そう。


「異性を惹きつける」

そういう意味では間違いなく大きい方が有利なのだろう。


だけれどもそれを求めていない女性だっている。


同性の敵は増えるかもしれないし、

変な被害に遭うリスクだって高まるのかもしれない。


自分の武器だと理解して、

理想の異性を手に入れるために使う人もいるけれど、

そういう人のイメージが一般化して、

望まない好奇の目で見られることだってある。

 

言わば「諸刃の剣」なのだ。

単純に大きければ楽に生きているわけじゃないでしょ。


結局は個性でしかないのかもしれない。


男は馬鹿だとか、

女はずるいだとか、


そういうのって、

主張する側の主観でしかない。


経験をもとに価値観が作られて、

それが行きすぎるとなんだって攻撃材料になる。


「巨乳は奇形」


あそこが小さいからって、

大きい同級生を「デカチン」っていじる小学生みたい。


大きくたってそれを正しく使う機会がないならば、

自分をすり減らしてしまうだけ、

 

小さくたって、

コンプレックスなのって悩んでいたって、

正しく使う機会がある方がよほどいい。

 

異性を囲い込むための武器ではなくて、

生理的な機能や命を育むため、

そして「愛情表現」という形でね。


その心も体も、

愛する一人から求めてもらえるならば、

それでいいんじゃないかな。


大きいとか小さいとか、

そんなことだけで選んで選ばれたって、

きっとうまくはいかないでしょ。


異性を使い捨てる。

男は女を性欲の捌け口に、

女は男を不安解消の道具に、

そうやって傷つけ合うことが病理、

 

「ヤらせてやったのに」

 

そう言っていた女性がいたけれども、

その言葉自体が相手を都合よく使おうとした証拠じゃないのかな。


誠実ってなんだろう?


そんなことを書いていたって、

私も女性をそういう目で見ているのだけれど、


「大きい胸に惹かれる」


草食の権化みたいな私だってそう思う。

 

だけれども思うことは止められない。

需要が多ければ商品化される。

そういうもの、


人だって動物、

そんなにいきり立たないでさ。

 

BLだって地位を確立したから、

web広告で目にするし、

散々流れているけれど、

生理用品のCMだって男からしたら、

「粛々とやってよ」ってそう思う。

 

男も女もどっちもどっち、

少しくらいは多目に見てよ。