「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

ぬくもりの奴隷

f:id:tureture30:20191119064908j:image

 

手を伸ばせば届く距離、

だけれども手を伸ばすことを恐れていた。


触れてしまったら最後、

そのぬくもりを失う恐怖に包まれてしまう。


冷たくて、

辛くて、

苦しくて、


だから少しだけ手を伸ばしてみる。

暗くて寒い木陰から、

恐る恐る手を伸ばしてみる。


指先が少しだけ木漏れ日に触れた。

じわりと伝わる温もり、


その魔力に心を奪われて、

今度はグッと手を伸ばす。


「どうやら大丈夫みたい」


そのぬくもりに体を預けてみることにした。


冷え切った心と体、

それを芯まで温めてくれる。

 

「もう大丈夫」


心から安心して光の中に飛び込む。

 

やがてそのぬくもりが当たり前になって、

それを守る努力をしなくなる。


そうすると、

徐々にぬくもりは失われていく。

 

足先から徐々に冷えてくる。

心まで到達するのは時間の問題だ。


「どうやら時間切れみたい」

 

また暗闇の中、

かろうじて見えるのは自分の足元だけ、


あのぬくもりが恋しくて、

もう一度手を伸ばしてみる。

思い切りグッと伸ばしてみる。


だけれども、

いくら手を伸ばしても、

指先を掠めるものは虚空だけ、


「気持ちはつながっている」

 

決して見えないものなのに、

それに甘えてしがみついて、

先に進むことをためらった。


いつまでも気持ちはそこにはいない。


木漏れ日は、

日の角度や周りの影が生み出すものだから、

その形は簡単に変わってしまう。


人の心だってきっと同じ、

周りによって変わってしまうのだ。


手を離してしまうと、

その指先をするりと抜けて、

ふわふわと宙に漂う風船のように、


ゆっくりと、

ゆっくりと、

離れていく。

 

気がついたら、

随分と遠くに行ってしまった。

いつだって後悔は先に立たないのだ。


ぬくもりを求めて、

ぬくもりが忘れられなくて、

ぬくもりの奴隷になる。


触れたら最後、

もう戻れはしない。

 

サボテン

f:id:tureture30:20191118064813j:image

 

「ほっといてくれ」

 


人を寄せ付けないようにって、

そんなにささくれて、

 


「痛い」

 


その声を聞くたびに、

本当は僕の心も痛いんだ。

 


「いたい」

 


本当はいっしょに居たい。

 


そんな気持ちを隠すために、

精一杯にささくれだって、

 


傷つけようなんて、

まったく思ってもいないのに、

この体のせいで傷つけてしまう。

 


大切な君を、

傷つけてしまう。

いつだって、

 


「居たい」

 


このささくれを引っ込めて、

その気持ちを素直に表現できたらな。

 


「痛い」

 


その声を聞くたびに、

そう思うんだ。

 


「手間がかからない」

 


それが人気の理由って言われるけれど、

ささくれながらも「構ってほしい」

いつもそう思っている。

 


「見た目だけで判断しないでよ」

 


本当はとても寂しがりや、

 


だから人目を引きたくて、

きれいな花を咲かせるんだ。

 

 

こんな見た目だから、

誰も触れてはくれないけれど、

 

 

僕をじっと見つめてくれる、

そのまなざしに触れたくて、

きれいな花を咲かせるんだ。

 

 

臆病をこじらせて、

こんな体になってしまったけれど、

君のぬくもりに触れたくて、

 

さんざん傷つけられたからって誰かを傷つけていいわけじゃない

f:id:tureture30:20191117075612j:image

 

そんな当たり前のことも忘れてしまう。

「怒り」は自分への期待の裏返し、


信念だとか、

自尊心だとか、

そういうものを傷つけられて生じるもの、

 

そういうものたちは、

人生を彩る上では欠かせないもの、

スパイスの役割を果たしてくれる。

 

だけれども逆に考えれば、

そういう物を持たなければ、

怒りは生じない。


もしくは、

誰にも傷つけられないくらいに、

確固たるものであれば、

「怒り」どころか「慈悲」が生じる。

「あわれだな」って、


傷つけられたからって、

相手や他の誰かを傷つける。

 

それって自分が未熟だったこと、

 

相手の足りないところばかりに目を向けて、

自分の足りないところにはモザイクでもかけて、

都合が悪いからとりあえず隠してみる。

 

「とりあえず局部は隠しています」って、

AVの編集でもしているのかな。

 

それでは怒りの矛先と同じように、

相手からもその矛先を向けられても仕方がない。

「肝心なところが見えないじゃないか」って、

 

そうやって戦が始まるのだ。

「見えないところを見せろ」って、

 

相手のことを知りたいのに、

大事なところは見えないじゃないかって、

「大事なところを見せろ」って、

断っておくけれど「心」の話、

 

「本心がわからない」

だから相手を恐れる。

これ以上は傷付きたくなんてないから、

だから避けるようになる。

 

どちらも未熟だから、

「怒り」と「怒り」をぶつけ合って、

どんどん感情ばかりが先に進んでしまって、

どこかで爆発してしまう。

 

そうなると修復は難しい。

どちらかが「自分の弱さ」と向き合うしかないのだ。


どんどん醜くなる。

自分も相手も、

 

どんどんどんどん醜くなって、
周りには醜い人ばかりが寄ってくるようになる。

 

どんどんどんどん醜くなって、

やがて醜いってことにも気が付かなくなる。


そうなってしまったら、

自力での復活はもはや見込めない。


救いの手を差し伸べてくれる誰かに、

その救いの手にすがるしかない。


「人を呪わば穴二つ」

 

穴を掘っていることに気がついたら、

シャベルを放り投げて、

その両手の震えをジッと見て、

その怯えや恐怖の正体と向き合うのだ。

 

穴を掘り終えてしまったら、

憎しみの引力に引き寄せられて、

「もうやるしかない」

そうなってしまうよ。

 

鏡を見て、

醜さと向き合って、

それを受け入れて、

 

どこまで行っても、

憎しみの果てに、

幸せなんてあるはずがないのだから、

 

 

婚活の目的

f:id:tureture30:20191116100516j:image

 

写真は一瞬を写し撮る。

その時の緊張や喜びを、

小さな四角い空間に閉じ込めて、

 


長い時間の中から、

ほんの一部だけを切り取った姿、

それがいつものその人とは限らない。

 


人の心は一瞬一瞬変わり続けている。

目まぐるしいほどに、

 


色んな表情があり、

色んな感情があり、

そして色んな環境がある。

 


ある場所では生き生きとしていても、

ある場所では暗くふさぎ込む。

 


ある人の前では明るく振る舞っても、

ある人のことは冷たくあしらう。

 


その時々でペルソナを使い分けて、

「自分」というものを演出する。

 


人生は劇だって言うけれど、

まさにそのとおりだ。

 

 

いつだって、

誰だって、

演じながら生きている。

 


「自分は何者なのか」

「自分の居場所はどこなのか」

 


それを問い続けることが人生なのかもしれない。

 


「加工はしてないよ。いい角度で撮っただけだから」

「何年か前の写真かな。私であることに変わりはないでしょ」

 


「写真詐欺ではない」

相手探しに躍起になるあまり、

そう主張する乙女たち、

 


そんなことをしたって、

会ってから傷つくだけだよ。

 


男は単純だから、

十中八九は容姿に期待して会う。

よほどでなければ、

性格は後からついてくるものなのだ。

 


「男だって加工しているでしょ」

 


男はきっと、

会ってからの話術とかで逆転できるのだ。

だけれども女性は無理、

それほど男は視覚に頼って生きている。

 


「写真と見た目が違う」

 


その一点が決勝点、

もちろん良い意味で違うのであれば話は別だけど、

 


何が書きたかったのかわからなくなってきたな。

 


「結局は会ってみないとわからない」

 


そうだ。

それが書きたかったのか。

 


会ってみても心の内なんてわからないのだけれど、

 


婚活って、

いっしょに幸せになる相手を見つけるためにするのかな。

 


それとも…

条件のいい異性を囲い込むためにするのかな。

 


すればするほどわからなくなる。

 

非合理的なことに突き進む覚悟が必要なのかもしれない

f:id:tureture30:20191115061439j:image

 

効率的なシステムばかりを作り出す。

仕事も日常も、


できるだけ労力をかけないで、

コスパばかりを気にして、

アップデートを繰り返す。


そうして生きていると、

あるところで停滞感を感じてしまう。


成長しているはずなのに、

なんだか物足りない。


ハメを外しすぎてしまうと、

未成年に手を出して捕まる教師みたいに、

大変なことになってしまうけれど、

ある程度は日常を離れて、

コスパの悪いことに夢中になることも必要なのかな。


そういうことをしないから、

急に爆発してしまうのかもしれない。


スキマが必要、

それもスキマをつくるためのスキマではなくて、

心を満たしてあげるためのスキマが、


「心の隙間をお埋めします」


そう言われても、

こればっかりは誰かに頼ってはいけないのだ。

 

代わりのもので埋めたって、

それが代わりのものでしかないことを、

自分が一番わかっている。

 

心のスキマを感じて、

そのスキマを「生き様」ってやつに変えてあげないと、

いつまで経っても満たされないまま、

 

スキマを受け入れて、

それをバカンスに変えてあげられたならば、

人生の悩みの大半は解決したも同然、

 

「人はこの世に楽しむために生まれてきた」

 

いつでもどこでも、

逆境でも苦難の最中でも、

楽しくて楽しくて仕方がない。

そういう人は強い。


目的もなく雲でも眺めながらボーッとする。

当てもなくふらっと散歩でもする。

そういうことはしばらくしてこなかった気がするな。


なんだか考えることが多すぎて、

気持ちが落ち着かないのだろう。


出来ないことばかりに目を向けても仕方がない。

出来ていることだってたくさんある。


逃したチャンスに思いを巡らせる時間があるならば、

何も考えない時間を増やしたほうがいい。

それが次への活力につながるはずだから、


常に何かを考えていたら、

疲労を起こしてしまう。

何も考えないで脳を休ませてあげないと、


私は貝になりたい


なんだかそんなフレーズが浮かんだ。


でくのぼうになりたい。

でくのぼうでいいのだ。


周りのことなど気にすることなく、

やるべきことにだけ集中して、

ただ一生懸命に命を燃やす。


そういうものに私はなりたい。

 

搾取

f:id:tureture30:20191114065711j:image

 

気がついたときにはもう空っぽ、


カラカラに干からびて、

一滴も残っていない。


「気持ちはつながっていた」


そう思っていたけれど、

いつだって一方通行なのだ。


去りゆくあの子は、

「女」としての自尊心を満たして、

どこか得意気に映る。


また補充しないといけないな。

 


傷を癒やして、

ジョウロで毎日少しずつ、

大事に、大事に潤いを与えて、

 


少しずつ、

少しづつ、

すこしずつ、

すこしづつ、

 


次はきっと、

報われるはずだと信じて、

 


震える手を、

同じように震えるもう片方の手で必死に支えて、

毎日、毎日少しずつ、

水をやり続けるのだ。

 


少しずつ、

少しづつ、

すこしずつ、

すこしづつ、

 


ようやく少しは湿ってきたかな。

手の震えもおさまってきた。

もう少しの辛抱だ。

 


少しずつ、

少しづつ、

すこしずつ、

すこしづつ、

 


手の震えは止まったし、

足だってほら、

ゆっくりだけど前に進めるようになった。

 


少しずつ、

少しづつ、

すこしずつ、

すこしづつ、

 


もう大丈夫、

ようやく前に進めるかな。

 


後悔だけはしたくない。

もう一度あの子に会いに行こう。

 


女「あなたのことが心配だったの」

男「そう言ってくれて嬉しいよ」

女「あなたの大切さに気がついたの」

男「僕はずっと大切に思っていたよ」

女「不安で不安で仕方がないの」

男「これからはずっと側にいるからね」

 


少しずつ、

少しづつ、

すこしずつ、

すこしづつ、

 


見たくもないものを見てしまった。

あの子が他の男と仲良く歩くところ、

作り物のように冷たく整った笑顔を携えて、

 


少しずつ、

少しづつ、

すこしずつ、

すこしづつ、

 


どうやら相手はどこかの貴族、

地位も名声もあるようだ。

僕には勝てるところなんてないな。

 


少しずつ、

少しづつ、

すこしずつ、

すこしづつ、

 


女「嫌ならば別れましょ。それがあなたのためなのよ」

男「待ってくれ、一度ちゃんと話し合おう」

 


少しずつ、

少しづつ、

すこしずつ、

すこしづつ、

 


女「もういいわ。別れましょ」

男「わかった。それが君の幸せならば」

 


少しずつ、

少しづつ、

すこしずつ、

すこしづつ、

 


気がついたときにはもう空っぽ、


カラカラに干からびて、

一滴も残っていない。


「気持ちはつながっていた」


そう思っていたけれど、

いつだって一方通行なのだ。


去りゆくあの子は、

「女」としての自尊心を満たして、

どこか得意気に映る。


また補充しないといけないな……

 

憎しみの深まり方

f:id:tureture30:20191113064128j:image

 

私は若くて綺麗な女性のことが、

好きで嫌いだ。

 

期待する反面、

「相手にされてなどいない」

自分の利害のために愛想良くしているだけ、

そういう現実が突き刺さる。

 

彼女たちの多くは、

自分に需要があることを知っている。

だからそれを社会で生きるための武器にして、

男を手玉に取るのだ。

 

「なんともお美しいことで」

 

傷つく経験を重ねてきたものだから、

私の心はそんなアイロニーに支配されている。

 

思考の偏り、

認知バイアス」というやつ、


人は「嫌い」と判断すると、

その対象の「嫌い」にばかり目が向くようになる。

自己防衛反応が働くから、

「好き」は「嫌い」には勝てない。

そうやって自分の価値観を作り上げるのだ。


楽しかった思い出は、

すべて憎しみの炎で焼き尽くす。

「嫌いなやつ」って自分で自分を洗脳する。


関わりたくないから、

避けるようになる。


そうなると会わない時間が「憎しみ」を作り出す。

もう二度と会わない関係ならばいい。

時が解決してくれるはずだから、


「どうでもいい」

心からそう思っている相手ならばいい。

会わない時間に相手のことなんて考えないから、


だけれども、

会わなければならない関係で、

「どうでもいい」と思えない相手ならば、

自分の心を戒めなければならない。


「憎くて仕方がない」

 

気が付かない速度で心は蝕まれてしまうから、

気がついたときには手遅れ、

そうなりかねない。


会って話してみれば、

多くの場合は「それほど憎むこともない」

きっとそう思う。


だけれども避ければ避けるほど、

会わない時間が憎しみを育むことになる。


どこかでけじめをつけなければならない。


完全に関係を断つか、

許すか。

もしくは先延ばしにして人ではなくなるか。


その選択を迫られる。


随分と長いこと先延ばしに来てきたけれど、

憎しみには時効なんてないみたい。

どうやら自分で解決するしかないようだ。


痴情のもつれから命を落とす、

そんな事件が最近もあったけれど、

人ってこうやっておかしくなっていくのだな。


そんなことをしてしまったら、

憎しみの連鎖に巻き込まれて、

もっと苦しむことになるのは目に見えているのに、


憎むことでしか自分を保てない。

ずっとそうやって苦しみ続ければいい。


「坊やだからさ」


赤い彗星さん、


憎しみにとらわれて、

人類の可能性を信じられなかったあなたも、

「坊や」なのかもしれません。

 

人の心って強くて弱い。

 

憎しみを糧にして生きるのと、

それを糧にしないで抜け殻になるの、

 

どっちが人として正しい選択なのかな。