「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

人生はどれだけ勇気を出したかで決まる

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ある研究結果によると、

人は「できなかったこと」をできるようになった時、

云わば「成長」を実感した時にドーパミンが分泌されて、

喜びを感じるらしい。


「失敗は成功のもと」


よく言われることだけれども、

それは真理なのだろう。


だから成長するためには、

どれだけ失敗したかが大事、


もっと言えば、

どれだけ挑戦したかが大事、


だから勇気の数だけ、

人は成長できる。


壁はそれぞれ、

人によって違う。


当たり前のように恋人が途切れない人がいれば、

私のように10年以上も相手がいないこじらせ野郎もいる。


一部は才能もあるのかもしれないけれど、

得手不得手はこれまでの人生経験で決まるもの、


苦手な分野に取り組むには、

「勇気」が必要だ。


私は異性に興味を持つのが遅かったのかもしれない。


一番後先考えずに行動できる高校までは、

部活やゲームや漫画に夢中だった。


部活のマネージャーの先輩、

実験で同じ班だった同級生、

修学旅行で泣かせてしまったあの子、


異性に興味はあったけれども、

それを表に出すようなことはあまりなかった。


大学でデビューをして、

一度は相手ができたけれども、

苦い経験から苦手意識を持つようになった。


それからも色々あったほうだと思うけれども、

こじらせにこじらせを重ね続けて、

経験すらしないまま今に至る。


もはや手遅れかもしれない。

だけれども今が一番若い。


「勇気」を出して取り組むしかないのだ。


「結婚って本気になればいつかはできるもの」


アプローチを受けることはあるから、

漠然とそんな気がしていたけれど、

いざ取り組んでみると、

経験が不足しすぎていてどうにもならない。


そう感じた一年間、

もう12月、

最後に勇気を出してみるのも悪くはないのかもしれない。


前に進むために始めたブログだけれども、

どうやら長いこと停滞している。


出会いは重ねた。

デートの回数も重ねた。


もともと聞き上手で人たらし、

少なくともビジネスでは、


会うところまで行けば、

好意を引き出せる自信はある。


「勇気を出す」


それをできなくなってしまったら、

気持ちが傾きかけても、

その気持ちすら疑うことになる。


好きだから嫌われるのだ怖い。

好きだから何を差し置いても一緒にいる時間を優先したい。

好きだから共に将来を築きたい。


だから、

それには「勇気」が必要、

そういうものじゃないのかな。

 

だけれども、

仕事は経験を重ねることで、

効率良くできるようになっても、

恋愛は不器用なままでいたい。


「勇気」が「愛」に変わる。


恋愛ってそういうものなのかもしれない。


何が君の幸せ、

何をして生きるのか、

答えられないなんて、

そんなのは嫌だ。


「愛」と「勇気」だけが友達さ。


それってそういうことなのかな。

やなせたかしさん、

 

理想

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相手に気に入られるために、

自分の立場を良くするために、

 


そういうところに動機を置いてしまうと、

大切な何かを置き去りにしてしまう。

 


どんどんどんどん先に進んで、

気が付くと大切なものが足りない。

 


生きるために必要だと思うものは、

全部カバンに詰め込んできたはずなのに、

 


何が足りないのかもわからないから、

結局はそれを探すために引き返すことになる。

 


進んだ分だけ骨が折れる。

時間も距離も離れてしまうから、

 


「大切な何か」

 


それを見つけたところで、

それを拾い上げるためにはその手は汚れすぎていた。

 


そのしつこい汚れは、

どんなにゴシゴシこすっても、

なかなか落ちてはくれないみたいだ。

 


だけれどもその真っ白な、

「大切な何か」を汚すわけにはいかないな。

 


そうしてそれを目の前にして、

結局は辿ってきた道を引き返すことになる。

 


「汚れてしまったな」

 


誰かがそうつぶやいた。

よく聞くと自分の声だった。

 

心があるようなふりをしているだけ

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「共感」

「同情」

「同苦」


人のことを自分のことのように思う力、

シンパシーってやつ、


「人の気持ちがわからない」


そう思う事が多いのであれば、

経験が足りないもしくは経験したことを自分の中に積み上げられない、

そういう生き方をしてきたのかもしれない。


そもそも人の気持ちなんてわからない。


だけれども、

わかっているふりをしてやり過ごすことはできる。


知識の積み重ね、

それを糧にして生きるのだ。


こういう時はこう振る舞えばいいだとか、

こう言われたらこう言えばいいだとか、


人はそうやって、

「わかったふり」を身につける。

社会生活を営むためのスキルとして、


そうやって生きている人って、

きっと社会にはたくさんいるんじゃないかな。


むしろ多数派なのかもしれない。


もう一度書くけれども、

「人の気持ちなんてわからない」


そういうのに「発達障害」だなんて、

名前をつけるからややこしくなる。


自分の経験を投影して、

同じような気持ちを引き出しから引きずり出して、

相手の気持ちを想像しているに過ぎない。


本当に全部わかってしまったらとても生きづらい。

気が狂ってしまうだろう。


私はもともと人の気持ちに鈍感なタイプだと思う。


それが色々と経験して、

「弱さ」というものに向き合わざるを得なくて、

少しは分かるようになった。


メンタルをやってしまったり、

病気で下手したら死ぬと言われたり、

奇跡的にうまくいかない恋愛たちに傷つけられたり、


そういうものを糧にして、

人間的な魅力は育まれるのかな。


人の心がわからなくたって、

何も問題はない。


苦労した分だけ自分が磨かれる。

そこから逃げずに向き合いさえすれば、

わからなくたって寄り添うことができる。


好きと嫌い。

その間にある無数のグレーな色たち、


「二人の気持ち」


白と黒ならばわかりやすいけれど、

無数のグレーたちから二人が選び取る色、

その濃淡は完全に重なることはないのかもしれない。


わかり合っているようでわかり合ってはいない。


だけれども歩み寄るために、

お互いのことを思って「想像し合う」


その作業を繰り返すことで、

少しずつ「大切な人」って、

そう思えるようになるのかな。


最初からいい人に見えたって、

はじめはそう見えるだけ、

そういうスキルを発動しているのだ。


相手のことを「想像する」

それが相手を「大切に思う」

そのための第一歩、


「心」って、

そこからつながるものなのかな。

 

アンドロイド

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人の愛し方がわからないから、

そのための練習をする。

 


うまくやっている人のマネをして、

親しげに話しかけてみる。


どうも怪訝な顔で見られるな。

僕の顔をちらりと見ては、

みんな通り過ぎてしまう。


あの人と同じようにしているはずなのに、

 


うまくやっている人のマネをして、

優しく体に触れてみる。

 

 

触れた途端にみるみると、

驚いたような表情に変わり、

サッと跳ね除けられてしまったな。


どうしてだろう?

あの人たちはとても嬉しそうに触れ合っているのに、

 


うまくやっている人のマネをして、

唇を重ねてみようとする。


「何するの!」って声といっしょに、

すかさずビンタが飛んできた。


おかしいな。

あの人たちは唇を重ねた後も、

ギュッと強く体を寄せ合っているのに、

 


僕はアンドロイド、

人の愛し方がわからない。


うまくやっている人のマネをして、

うまく人を愛したいのに、

 


僕はアンドロイド、

人を幸せにするために生まれてきた。


なのに人を愛せない。

僕はどうして生まれてきたのだろう。

 


君の笑顔が見たくて、

少しおどけてみせた。


そうすることで、

君が喜んでくれるとインプットしておいたから、

前と同じようにおどけてみせた。

 


どうやら君の口角が39度ほど上がったみたいだ。

「サンキュー」


その笑顔から、

「ありがとう」の言葉を受け取った。

 


僕はアンドロイド、

人の気持ちがわからない。

 


「嬉しい」

「悲しい」


「好き」

「嫌い」


「愛してる」

「愛していない」


そういうのを全部、

数字で表してくれれば僕にだってわかるのにな。

 


私は人間、

だけれども人の気持ちがわからない。

 

浮気相手との間にできた子供を堕ろさせて自分の元に帰ってきてほしいと思うほどどうしようもない気持ちが真実の愛

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ドラマ『G線上のあなたと私』

その最初の1話で出てきた言葉、


このドラマ、

私は波瑠さんが苦手なので、

ずっと寝かせておいたけれども、

1話を見てみるとどうやら面白そう。


断っておくと、

波瑠さんが苦手な理由は、

別に容姿がどうとかではない。


ドラマ『あなたのことはそれほど』で、

2番目に好きな人と結婚した挙げ句に、

1番好きな人と運命的に再会するやいなや不倫に走り、

罪悪感の欠片も見えないサイコパス女、


その役柄があまりにも生理的に無理で、

演じた波瑠さんまで苦手になってしまったのだ。


話を戻そう。


平たく言えば、

「若さゆえにこういうことが言えるのだろうな」

そういう感想、


だけれども、

若さゆえに夾雑物抜きにして真実を直視しているとも言える。


恋に落ちた人ならば、

最初の恋は誰だって、

結ばれるかどうかは別としても、

たまらなく好きになった相手がいて、

苦しくて切ない経験をしてきたはず、


それでは体が持たないし、

心に耐性ができてしまうから、

あまり心が震えなくなる。


きっとそういうもの、


婚活を経ての結婚って、

そのほとんどは条件で選び選ばれている。


「結婚すること」

それが目的だからだ。


「本当に恋愛で傷ついたならば、

人の恋愛を茶化すことなんて出来ないはず」


タイトルの言葉もそうだけど、

この言葉にもなんだかグッと来た。


「いいね」

そんな軽いノリで縁を結んで、


「違うかも」

そんな軽いノリで人を切る。


婚活ってその繰り返し、


だけれども相手は軽いノリではないかもしれない。


実際に本気の言葉を伝えたことがあるし、

伝えられたこともある。


これが違う場の出会いならば、

「今はそういう時期じゃない」だとか、

「他に相手がいて」だとか、

そういうこともあるけれど、


婚活をしているってことは、

「あなたは私のおメガネに適いませんでした」


断られるってそういうこと、

しかもお互いが複数のチャンスを伺っているというおまけ付き、


そこまでして結婚したいのかな。

結婚しないと幸せになれないのかな。


中川大志くんの言葉にグッと来ちゃうんだもの、

どう考えても私は「婚活」ってやつには向いていない。


女性と会うことになった。


やり取りをするためにやり取りをしながら、

その日までの時間を潰す。


「気持ちを温める」ではない。

「時間を潰す」なのだ。


本当に不誠実だよな。

気持ちのない相手に気持ちがあるように見せることって、

向こうも同じなのかもしれないけれど、


「会うまではわからない」

それだけが救い。


一度会ってしまったら、

どうしようもなく心惹かれて、

「真実の愛」に目覚める可能性がゼロではないのだから、


どうせ当てはない。


限りなく低い、

その可能性に懸けてみることにしよう。

 

ドストエフスキー『おかしな人間の夢』

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短編集の中の1つだったけれども、

強烈な印象を受けた作品、


人生に絶望した男が、

自殺することを決意した夜に、

哀れな一人の少女と出会う。


助けを求められるも、

男はそれを振り切って家路に着く。


家に着くと「死」を覚悟したはずの自分に生じた

「憐れみ」という感情に戸惑い、

「自分は生きている」ということを実感する。


その夜は命を終わらせることなく、

椅子に腰掛けたまま眠ってしまった。

そこで不思議な夢を見る。


人類の原始から、

知恵を身につけ科学に至る。

その走馬灯のような夢を、


はじめはただ「生」を紡ぐだけで幸せだった。

人類は知恵をつけて所有権を行使するようになる。

そして、幸せになる方法ばかりに思いを巡らせて、

幸せであることを蔑ろにする。


科学に傾倒するのだ。


物質的な豊かさを追い求めて、

精神的に荒廃していく。

幸せになる方法ばかりを追い求めて、

幸せになるために進歩してきたのに、

まだ「幸せ」を求めている。


満たされないのだ。


男はそのような人類を愛おしく思う。

自己という殻に閉じこもっていたことに気がつき、

そこを一歩踏み出して人類愛に目覚める。


キリスト教の根幹、

使い古されたテーマだけれども、

「自分と同じように他人を愛する」

隣人愛というやつ、


それに目覚めることで、

「生」に前向きになり「満たされる」

そういうことを表現した。

 

男の信仰体験を通して、

ドストエフスキーは文筆家としての覚悟を描いたのだろう。


「人を愛することなしには、人を憎むことはできない」

印象的な言葉、


愛があるから憎しみが生まれる。

だけれども愛に傾倒しないと満たされない。


自己愛からの脱却、

人類愛へのコミット、


自己という枠を超えた先に、

「満たされる」

そういう感覚があるのかもしれない。

 

「おかしな人間」

 

人はいつも自分のことばかり、

自分のことで精一杯、

だから隣人のために生きられたならば、

きっとそれこそが「おかしな人間」

 

人から好奇の目で見られても、

正しくあろうと生き続ける。

そんな「おかしな人間」


自分を愛しつつも、

同じように人を愛する。


心からそう思えたならば、

本当に満たされるのだろうな。


人間は強く儚い生き物だから、

それが難しいのだけれども、

 

善く在りたいけれども、

欲望に負けてしまう。

 

そこにある葛藤、

 

男が人類を愛おしく思ったように、

そういう不器用さに、

人の魅力ってあるのかな。

 

人間のクズ

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リターンを求めればリスクは必要、

「虎穴に入らずんば虎子を得ず」というやつだ。


お金を増やしたければ、

投資をしたり、転職をしたり、

宝くじを買うことだってリスクは低いがそれに当たる。


相手を得たければアプローチするしかない。

その結果として傷つくリスクはある。

だけれどもアラブの王族でもなければジャニーズでもない。

 

過去の栄光にしがみついて、

相手から寄ってくることなど、

奇跡を待つようなものなのだ。


リスクを取らないで、

文句ばかりが口から出てくる。

なんとも浅ましく惨めだ。


今までの努力が足りなかったんじゃないの?


課題に気がついているのに見て見ぬ振りをして、

楽なことに夢中になっていたんじゃないのかな。


それが生み出した現状、

人のせいにしたところで仕方がないのだ。


「苦労した人が苦労した分だけ幸せになる社会」


そういうお題目にしがみついて、

幻想をいだいたところで、

責任は誰も取ってはくれないのだ。


リスクを取るのも自己責任、

リスクを取らないのも自己責任、


生命保険に入ることが「人としての責任」

営業マンはそんな事を言うけれどそんなことではない。


「自分の選択に責任を持つこと」


それが人としての責任なんじゃないかな。


いい年して、

誰かに幸せにしてもらいたいだなんて、

誰かのせいで不幸になっただなんて、

今までの人生で一体何をしてきたの?


「人間のクズ」

そういうのを人間のクズと言うんだよ。


全部自己責任、

騙されようが傷つけられようが、

トラウマが残ろうが、

全部自己責任、


そういう選択をしてきたんでしょ。


リスクを分かっていようがいまいが、

そういう選択をしてきたんだから、


その結果が今、


結果的にそんな立場になったからって、

人のせいにして責任を取ろうとしない。


完璧な人間なんていないから、

粗を探せばいくらでもある。

いくらでも人のせいにできるのだ。


じゃあ、自分はどうなの?


そう聞かれる機会がないものだから、

自分のことは棚に上げて、

それに気が付かないふりをして、

自尊心を守ることに躍起になる。


心の中はいつも不安でいっぱい、

バレやしないのかとビクビクして生きているのにね。


そういう人間が大嫌いなはずなのに、

気がつけばそういう人間になっている。


泣けば許されるとでも思っているの?

謝れば許されるとでも思っているの?

そんな事は決してない。


時が解決してくれるわけでもない。

軌跡が解決をしてくれたところで、

同じことでまた悩む。


責任を取るまでは終わらない。

きっとそういうもの、


憎しみって怖い。


人間のゴミ捨て場、

そこには自分の行動に責任を取らないクズたちが、

文句を垂れ流しながら蠢いている。


気がついた時がスタート、

クズのまま終わるわけにはいかない。