「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

人を好きになるってことは暴力

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ドラマ『G線上のあなたと私』

そのワンシーンで出てきた言葉、


妙に腑に落ちた。

その通りだなって、


一方的な愛情を向けられたところで、

それに応えられなければ迷惑なだけ、


罪悪感に蝕まれたり、

愛想を向けないように気を使ったり、

時には犯罪に巻き込まれたり、


同じくらいの力で押し合って、

ちょうど均衡するから「愛」ってやつは成り立つ、


お互いがお互いを好きであれば、

こんなに素晴らしいことはないけれど、

多くの場合、どこかで力関係ができてしまう。


「惚れた方が負け」


よく聞くけれど、

結局はそういうものなのかな。


嫌われたくないから、

関係を続けるために折れ続ける。


そうして都合の良い人間になるとこで、

「愛情の差」を埋めようとする。

疲れてしまうまでずっと、


逆に愛情はなくても同居人として、

お互いが程よく好感を持ち続けていれば、

関係はうまくいくのかもしれない。


そうやってお互いの気持ちが均衡しているから、

恋愛関係ってうまくいく。


「こんなに愛しているのに」


いくらそう思ったところで、

どうにもならないこともある。

むしろその方が多いくらいだ。


だけれども気持ちは簡単には止められない。

だから愛が憎しみに変わる。


「なんで?どうして?」


そうやって周りが見えなくなって、

些細な不誠実さを許せなくなって、

話し合う機会を先延ばしにするほどに、

どんどん憎しみは深まって、


許したくても許せない。

 

ドツボにハマってしまう。

向けられた側からすれば迷惑な話だ。


だから遊びで相手をその気にさせて、

自尊感情を満たすことにはリスクがつきもの、


路上で急に刺されてしまうかもしれないよ。


人の心を弄ぶって卑劣なこと、

人を軽んじる人は人から軽んじられる。

結局は自分に返ってくるのだ。


だからわざわざ手間暇かけてまで、

憎しみに縛られて手を下す必要なんてない。


そんなことをしたところで、

自分が損をするだけ、


世の中にはクズみたいな男もいれば、

クズみたいな女もいる。


だけれどもそれって、

クズみたいな女にさせてしまう男がいて、

クズみたいな男にさせてしまう女がいるってこと、


惚れさせる気で接するならば、

本気で責任取るつもりで惚れてからにしろ、

 

そうすればうまくいかなかった先でも、

相手の幸せを思って退くことができるはず、


それが気持ちを暴力にしないための責任ってもの、


「この人間のクズ」


そう言ってやりたい相手がいる。

 

自分をラベリングするということ

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職業やら、

肩書やら、

個性、


人はそういう物によって認識され、

他者を認識する。


ペルソナを被ったり、

キャラ付けをしたり、

道化のように振る舞うことで、

「生きやすい」環境を手に入れる。


ラベルの拡張、

新たな自分の発見とでも言うべきか、


「自分探し」だとか、

「何者かになりたい」だとか、

そうやっていろいろなラベルを手に入れることに躍起になる。


「起業した人」だとか、

「ブログをしている人」だとか、

「一人で海外旅行をした人」だとか、


アイデンティティ


自分のそれを自分が一番信じられないから、

たくさんのラベルを集めて安心する。


だけれども、

あまりにもたくさんのラベルを手に入れてしまうと、

それの取捨選択にばかり時間をかけて、

結局は心が疲弊してしまう。

 

いくらラベルを手に入れても、

足りないものばかりに目が向くものだから、

新たなラベルを求めてもがき苦しむ。

 

世界が近くなりすぎたから、

上を見ればきりがないのにね。


私のラベルは、

「30代童貞こじらせ男」


そこそこインパクトのあるものなのだろうけど、

早くアップグレードしたいと思っている。


「30代独身こじらせ男」


「30代結婚生活こじらせ夫」


「30代子育てこじらせパパ」


ラベルのインパクトはどんどん薄れていく。

だけれどもなんだか充実していそう。


人から見たら価値の低いラベルでも、

自分からすれば価値の高いもの、


そういうものってたくさんある。


人からどう見られるかばかり気にしても、

仕方がないんじゃないかな。


たくさんのラベルを集めて、

それを切り貼りして、

周りの目ばかりを気にして、

 

いくらそんな作業に時間を費やしても、

「自分らしさ」なんてものは見つからない。


人の好みに合わせて、

それを演じ分けているだけだから、

 

その作業に没頭するほどそこから抜け出せなくなる。
人はかけた時間や労力に固執する生き物、

過去に囚われるのだ。


苦労して手に入れたものを、

きれいに手放す強さがほしい。


所詮、最後はそうしなければならないのだから、

 

チューニング

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なにかイベント事があるときは、

その日に向けて準備をする。


極力、体調にも留意するけれど、

なかなかそうもいかないこともある。


人の気持ちは移ろいやすいもの、


大事なときに限って、

体調が悪かったり、

イライラしたり、

ガツガツしすぎたり、


何も生理は女性だけの特権ではない。

男にだってホルモンバランス的な体調不良はある。


うまくコントロールしようとしたって、

うまく出来ない。


そういうときは「受け入れる」こと、

今日はそういう日なんだって、


そしてその中でベストを尽くす。

空回りしないように、


きっとそれが「人生のチューニング」ってやつ、


悪いなりに調整する。

そういう術を身につけなければならない。


社会ってやつはシビアだから、

一度ダメだと思われると、

なかなかその印象を拭えない。

だから自分で自分を守ってやる必要がある。


無理をしすぎなくていい。

できる範囲でうまくやること、


何でもかんでも手を出して、

結局「できない」

それでは元も子もない。


「無理をしない勇気」


それだって生きるために必要なこと、


実力以上に評価されたって、

それを維持するのに疲れてしまうだけ、

 

うまく自分をチューニングできる環境を整えて、

外から見た自分も、

内側から見た自分も、

気持ち良く生きられるようにしてあげること、

 

そしてうまくいかないときに、

できる範囲の中でベストを尽くすこと、

 

チューニングすらできない環境に身を置いてしまったら、

どんどん心は蝕まれてしまう。

 

チューニングしてやることを怠ってはならない。

心も体も、

 

自分のことを大事にしたい。

前に進むために、

 

カタログスペック

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目に見える魅力がある。


容姿やら、

年収やら、

職業やら、


目に見えない魅力がある。


性格やら、

雰囲気やら、

相性やら、


男も女も、

目に見える魅力にばかりこだわっている。

それが手っ取り早く相手を評価できるから、


コスパが求められるようになった時代、

時間は貴重な資源、


そういう考えに偏って、

相手を探すことにすらコスパを求めるようになる。


便利になればなるほど、

心の距離は離れる一方だ。


顔を合わせたこともない。

声を聞いたこともない。


知っているのは、

文字のやり取りから得た情報と、

カタログスペックだけ、


それが入り口なものだから、

本当に素敵な人を取り逃しているんじゃないかな。


恋をするために恋するところから始まって、

最後は結婚するために結婚して、


「彼氏いるの?」

「彼女いるの?」

「結婚してるの?」

「子供はいるの?」

「旦那さんの職業は?」

「奥さんの年齢は?」


結局は人って、

自分のカタログスペックを上げるために、

そのために経験を積みたがるのかな。


「それが普通だから」

「人からよく見られたいから」

「余り物だと思われたくないから」


私が女性に求める条件だって、

結局は自分を飾るためのものなのかな。


幸せってなんだろう。

幸せって損をしないことなのかな。

幸せって人より優れていることなのかな。


「カタログスペック」


ほどほどにアプローチを受けるくらいだから、

私のそれはきっと悪くはないのだろう。


だけれどもきっと、

それを手放したら、

多くの女性からは見向きもされない。

少なくとも画面越しの出会いでは、


大切な人のぬくもりや、

大切な人と重ねる時間や、

大切な人との間に授かる宝物、


そういうのって、

カタログスペックなしには手に入らないものなのかな。


人間の本質ってなんだろう。

婚活をすればするほどわからなくなる。


やり取りしているこの人は、

私の何を求めてやり取りをしているのだろう。


「優しくて、仕事熱心で、話を聞いてくれるところ」

そういうところが素敵だと思っていました。


少し前に会った女性からは、

最後にそういうことを言われたけれど、

それって本当に私のことなのかな。


ある程度場数を踏んでいれば、

そう見せることくらい難しくはないんじゃないかな。


「誰にでも優しい人ってのはね。

裏を返せば他人に興味のない人なんだよ」


誰かがそう言っていたな。


なんだか自分がわからなくなる。


欠落感を埋めるために、

相手を探しているだけなのかな。


条件さえ良ければ、別に誰でもいいのだ。


クズみたい。

嫌いなクソ女と同じ、


私もクソ男なのだな。

 

手っ取り早く幸福度を上げる方法

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手っ取り早く幸福度を上げたいならば、

「恋愛」をすればいいらしい。


だけれども恋愛って、

しようと思ってできるものなのかな。


婚活している私が言うのもなんだけど、

いくらこういう出会いを重ねても、

「条件」でいいと思う人はいても、

恋愛に発展することはほとんどない。

 

おそらくそれは女性の方がもっとシビアだろう。


だから思い込む。

関係がうまくいきそうになると、

「自分はこの人のことが好きなのかも」って、


好意の返報性ってやつ、


人は不安には勝てないから、

それを解消してくれそうな相手が目の前に現れると、

その優しさにしがみついてしまう。


お互いが自立していればいい。

水を与えあって互いに心を育てることができるから、


だけれども、

二人の愛を天秤にかけたときに、

どちらかに大きく傾くようならば気をつけなければならない。


「恋に恋している」


自己承認欲求を満たすために、

恋愛の虜になっているのかもしれない。


時間をかけてゆっくりと、

気がついたらお互いがお互いを意識していて、

自然と関係が深まる。


何気ないタイミングで、

ふと口をついて出た一言から結ばれる。


そういうのが理想だけれども、

出会いを求めているうちはそうはならないかな。

 

相手を求めることばかりが先行して、

人と関係を深めることを後回しにして、

「結婚相手」としてしか女性を見ない。


そういうことを続けているな。


前はもっと自然に女性と接していたはずなのに、

これでは結婚に近づいているのか遠ざかっているのかわからない。


バカみたい。


「恋愛を経て結婚したい」


そう思っているけれど、

条件にばかり引きづられて、

白か黒でしか相手を判断しない。


そういうものに染まってしまったな。


「自然と女性を好きになる」


そういうことって、

もう経験できないのかな。

 

誰かに恋をする。

それだけで世界は色づく。

輝いて見える。

 

それを否定はしないけれども、

いくら恋に恋したところで、

幸福度は上がらないのだ。

 

結婚したい病にかかってしまったら手遅れ、

妙齢の女性がみんな「結婚相手の候補」にしか見えなくなる。

木枯らし

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ダウンジャケットの中にまで、

何枚も何枚もたくさん着込んで、

加えて厚手の靴下の上にはももひき、


ヒートテックなんて洒落た名前がついたものだから、

恥ずかしがらずに「履いています」だなんて、

どこか自慢げな会話が聞こえてくる。


またあいつが冬を連れてきた。


所々から聞こえてくる咳、

「少し長引いているの」だなんて顔を歪めながらも、

気のせいか、どこか季節を満喫しているように見える。


装いはすっかり冬、

変わらないのは女子学生のスカート丈だけ、


寒くたってなんだって、

おしゃれでいたいお年頃、


きっと「今しかできないこと」

彼女たちはそれを漠然と知っているのだ。


「たくましいなぁ」

ふと言葉が口をつく。


冷たいあいつに吹き付けられたって、

「今を生きる」熱量には敵わない。


「冬を楽しんでいるな」


外に目を向ければ、

冬を歓迎する印はそこかしこに転がっている。


年を取れば取るほどに、

「寒い」だなんて文句をたれて、

ブルブルと震えて部屋に閉じこもる。


どちらかといえば私はもうそっち側、


毎朝、家を出るたびに、

「寒くて嫌になっちゃうな」なんて、

心の中で文句を言いながら、

脳内で流れるバックミュージックは「冬がはじまるよ」

どうやら私も少しは冬の訪れを楽しんでいるようだ。


「今を生き続けていれば、いつまでも青春」


それに気が付かせるために、

今日もあいつは吹き荒んでいるのかな。

自分の身を粉にして、


「きっと君は来ない。一人きりのクリスマスイブ」


あと10日もすれば、

きっとバックミュージックは切り替わるのだろう。

 

「サイレントナイト」

 

ひとり静かに過ごす夜、

言い得て妙だ。


さて今から独男会でも企画するか。

でも前にクリスマスイブに男だけで鎌倉に行って心が折れた経験がある。

 

ホーリーナイト」

 

大いなるものに思いでも馳せて、

自分のちっぽけさを身にしみて感じるために、

どうやらおとなしくしていたほうが良さそうだ。

 

その方が先に進める気がするから、

ネガティブストリーム

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世の中には悲観的な報道が満ち溢れている。


数字を稼ぐためにあえてエキセントリックな方向に寄っていく。

偏向報道というやつ、


もはやそれが当たり前になりすぎて、

偏向報道であることにすら気が付かなくなる。


「世界は悪い方向に向かっている」


環境問題だとか、

凶悪事件だとか、

モラルの崩壊だとか、


たしかに一部でそういう事はあるのだろう。

だけれどもそれって昔からあることなんじゃないかな。


世界が近くなったから、

極端なレアケースが身近になっただけ、


それにも関わらず、

そんな報道ばかりが続くから、

「世界は悪い方向に向かっている」

そんな印象になる。


そうすると本当にそっちに引っ張られてしまうよ。

悪い方悪い方にばかり引っ張られてしまう。


いいことなんてほとんどないから、

ニュースを見たくないって人もいるんじゃないかな。


「人の不幸は甘い蜜」


野次馬根性にばかり磨きがかかって、

人を人とは思わなくなってしまうんじゃないかな。


画面の向こう側にいるのは、

自分の同じ生身の人間のはずなのにね。


「あれよりはマシだな」


そうやって大して満たされてなどいないから、

自分の現状に少しばかりの価値を付与する。


ネガティブな情報ばかりに触れていたら、

ネガティブな人間になるのは当たり前、


そうやって、

みんながネガティブなレールの上を進んでいく。

ネガティブであることにすら気が付かないで、

 

その先に待ち受けているものはなんだろう。


「自分さえ良ければいい」


自分が損をしないことに躍起になって、

叩きやすい対象を見つけては、

それを叩くことで自分が大物になった気になる。


1つ人をけなすたびに、

少し心がすり減ってしまう。


人を人と思わずに、

道具か何かと勘違いして、

どんどんどんどんすり減って、

気がつけばもう小さな欠片しか残っていない。

 

そのことに気がついたとしても、
あとはもう、残ったその欠片を大事にして、

残りの時間を生きながらえるしかないのかな。


「連戦連勝!破竹の勢い!」


昔はそうやって洗脳してきたけれど、

今は逆の意味で「将来への不安」を煽って、

数字を稼ぐために洗脳しているのかな。


「ネガティブストリーム」


もはやこの流れを止めることは出来ないのか。

 

人も少しずつ進化しているみたいだけど、

人の心ってこれからどうなってしまうのだろう。

 

引きずられないように、

強い心を持ちたい。