「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

それまでの価値観が一変してしまうような経験

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私は2度ほど思い当たる。


一度目は19のとき、

二度目は30になって少ししたとき、


なんとなくだけれども、

もう一度くらいはそういうことがある気がする。


一度目は、

「自分の可能性を信じること」


二度目は、

「手放すこと」

 

それを学んだ。


三度目はどうなるのだろう。

この変化で私のこれから先の価値観は、

大きくその方向性を決する気がする。

 

予感は予感に過ぎないのかもしれない。

傷つくことになるかもしれない。

これから先の人生を諦めてしまうほどに、

 

良い方向に変わるといいな。

 

考えても仕方がないのだ。

それに至るまでは、

地道に生きるしかない。


病気か。

恋愛か。

あるいは別の何かか。

 

「このことだったのか」


それはその時になってみないとわからない。

あるいはその時にもわからないのかもしれない。

ずっと後になってから気がつくのかも、


とにかく今できることは、

自分を嫌いになるような行動をしないということ、


その積み重ねの中で起こる変化ならば、

きっと違和感なく受け入れることができるはず、


「もう若くはないな」


そう思っていたって、

人生は続いていく。

これから先はもっと若くはなくなっていく。


自分を嫌いにならないように生きること、

生きている実感を積み重ねること、


見えない何かに知らないうちに誘導されて、

実感もなく無為に時を重ねていく。


そんな人生は嫌だ。


どんなにそれが素晴らしいものであっても、

自分の生き方を委ねてはならない。


最後に責任を取るのは、

いつだって自分なのだから、


悔いのないように、

自分の人生を生きよう。

 

「それまでの価値観が一変してしまうような経験」

 

それを待ち望みながら、

それに期待はしない。

そうすれば自然と地道に生きていける。

 

漠然とした道標があるだけで、

人は前に進めるのだ。

 

ある曲の歌詞から、

「人は希望なしでは生きれないから、

みんな心のどこかで来世を信じている」

 

 

感情を持ち込まないタイプ

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人は自己存在に不安を感じているものだから、

それを脅かされると感情的になってしまう。

 

どうしようもない感情というのはある。

そういう経験もしているけれど、

「感情を持ち込まない」

基本的にはそういうタイプでありたい。

そう思っている。


意見が食い違ったときに、

そのものごとを客観的に捉えて、

相手のほうが正しいと思えば簡単に折れる。

それを軸に話を進めたほうが良いものを生み出すから、


「自分の立場を守るため」

 

それを目的に主導権を握ろうなんて、

「愚か」でしかない。


だけれども、

そう思えば思うほど、

裏を返せばそういう「愚か」に対した時に、

見過ごすことが苦手になる。


マウント取ろうとされようものならば、

そのタックルを膝蹴りで返り討ち、

だから軋轢を生む。


私は感情を極力持ち込まないけれども、

感情を持ち込むタイプはたくさんいる。

特に女性なんかはそう。


そこに寄り添ってみると、

「愚か」に見えていたことが、

そうではなくなることも少なくない。


だから難しい。


自分は「感情を持ち込まないタイプ」

そんなふうに通ぶっていたところで、

それが必ず正しいわけではない。


感情的な相手に対して、

自分も感情的になったら収集がつかない。

 

基本的には、

「感情を持ち込まないタイプ」

それでいい。


だけれどもそれでいて、

「相手の感情には寄り添うタイプ」

そうでないと客観的事実は見えてこない。

 

相手にだって理性はある。

感情的になるだけの理由がある。

私がそれに気がついていないだけ、


それではただのエゴ、

もっと大人にならないといけないな。

 

突き放すのではなく、

相手に寄り添うという意味で、

気がついたら母のスマホがXperiaになっていた話

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そういえば、

少し前からスマホの調子が悪いと言っていた。


電話とLINEとツムツムくらいしかしない母、

写真だってほとんど撮らない。

口癖は「使いにくい」「iPhoneがいい」


簡単スマホにでもしておけばいいのに、

そんな高そうなやつに変えたのか。


早速、指紋認証の仕方がわからないだの、

呼ばれて設定することに、


小一時間でもろもろ済ませると、

「あんた天才じゃないの」みたいなことを言われる。


私はiPhoneなのでAndroidをいじったことはほとんどないけれど、

今のスマホはアカウントさえあれば、

設定しやすく出来ているんだなと感じた。


クラウドの恩恵ってやつか。


それでもわからない母、

そんな高級端末を使いこなせるのかな。


また折を見て、

呼びつけられるのかもしれない。


だけれども私が入院した時は、

毎日のように通ってくれたし、

今までのことを考えたら感謝してもしきれない。


それにいつまで元気かもわからない。

こんなことで少しでも恩返しができるならばそれもいいか。


いつまで元気でいてくれるかわからないもんな。


そんな気持ちにさせてくれた、

Xperiaに感謝、

 

これからのマネジメントのあり方

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「権威」

その価値が薄れている。


「立場があるから優れている」

もはや失笑ものだ。


時代はどんどん進んでいる。

それと同時に社会の求めるものも変わっている。


シンギュラリティに近づき、

30年後には「平成」での変化よりも大きく、

社会は変わっていることだろう。


「学び」の効率化は進み、

得ようと思えば簡単に情報にアクセスできる。

1年間の重みが人によって何倍も変わる。


有意義な学生時代を積み重ねた優秀な人材、

ある一面では新入社員のほうが優れていることもザラにある。


「自分は何十年も社会人をしてきた」


その経験を否定するわけではないけれど、

だからといって若手よりも優れているとは限らないよ。


「優れている」


社会のものさしで判断すれば、

「継続的な視点で組織に利益をもたらす」

「世界に価値を提供する」

そんなところだろうか。


「利益」


価値が多様化するものだから、

個人がいくら優れたプレイヤーだとしても、

もたらす利益には限界がある。


「多様性」


これからの時代は、

それが組織の武器になる。


老若男女、

ニッチな趣味、

奇想天外な経験、

そこから得た情報、


そういうものを結集することで、

新たな価値が生まれる。


だからそれをチームから引き出して、

うまくまとめる力が求められる。


これからの「マネジメント」って、

そうあるべきなんじゃないかな。


日本は慣例に従うことが多い。

それが一番楽だから、


だけれども、

その慣例を変えることで、

効率が1%でも上がるのであれば、

きっとそれが競争力に直結するよ。


せわしいのは好きではないけれど仕方がない。


ビジネスにスピードが求められる時代、

少しの差が未来を分けるのだ。


だからみんなが忌憚なく「声を挙げられる環境」を作って、

そこから出た意見を「最も価値を生む形」にまとめて、

「この人が言うならば仕方がない」って思われるような振る舞いで、

チームのリソースを最大限に活かす。


そういうものを目指さなくてはならない。


「業務効率化を進めたら首にされた」


少し前にそんな記事があったけれど、

そういう組織は近いうちに淘汰される。


「今の若い人はかわいそう」


そう言う人がいるけれど、

そう言う人たちは「そう言う」だけ、

結局は自分が現役のうちを乗り越えれば良いのだ。

政治だってそう。


「継続的に利益をもたらす」


だから特に若者はそういう視点が大事、

多くの場合、上の人達はそんな事考えていないよ。


自分の身を守るためには、

力をつけないといけない。


「会社に利益をもたらす」対価として、

賃金を得るのだけれど、

その時間が自分の将来の利益につながるのか、

それをよくよく考えないといけない。


会社が人生の責任をとってくれる時代は終わったのだ。


会社員でも個人事業主

自分をブランディングすることを怠ってはならない。


どういう技術を身につけて、

どういう経験を積み重ねて、

どれくらい人脈を広げたのか。


年をとったときに大きく差がつく。


周りのこともそうだけれど、

自分で自分をマネジメントしないと、

誰も責任をとってはくれない。

 

可もなく不可もなく

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私があまりにも優柔不断で、

「とりあえず」という選択肢を持ち合わせていない、

理性ガチガチのこじらせ男だからだろう。


「可もなく不可もなく」


そういう恋人候補を目の前にして、

「誠実」と「不誠実」の差について、

考えを巡らせている。


「少し」を少し超えるくらいには年下、


まるで昔の私をみているような、

ど真面目で不器用な身持ちの堅い印象、

「裏切らないな」

そういう安心感がある。


だけれども、

「スパイス」というべきか、

面白味という点ではあまりない。


周りの女性から見た私は、

きっとこういう印象なのだろうな。

そういうお相手、


そんな女性が私に対して少し前のめり、


「優しくて誠実で話を聞いてくれる」

お決まりのやつだ。

 

私のいいところって、

きっと、それくらいしかないのだな。


次の約束をした。

先に進みたいとは思う。


意図して人を傷つけるようなことはしない。

そういう魅力のある人だ。


年上のお姉様か。

年下のお堅め女子か。

また不自由な二択を迫られる。


前回の選択は「どちらも選ばない」だった。

 

心から「好き」と思えた人との失恋直後だったから、

というのは多分にあるけれど、

「とりあえず」では選べない性格なのだ。


だけれども、

そろそろそうも言ってはいられないお年頃、

ブランクが長すぎるから経験を積むためにも、

先に進んでみたほうがいいことはわかっている。

 

さて今回はどうするか。


次に会うことでたまらなく好きになるということは、

経験上おそらくないだろう。

トキメキは初対面でほぼ決まるのだ。


だけれどもそんな出会いって、

10人と会って一人しかなかった。


あと10人に会うというのは、

気力的にとても無理だ。


そうなると、

選択肢から選ぶのかな。


だけれどもその先にあるものに、

私は心から幸せを感じられるのかな。

 

心から「好き」と思えないのに、

先に進むことって不誠実じゃないのかな。


そんなことばかりに思いを巡らせる。

また前と同じだ。

 

ヤキモキしていて、

「どちらからも選ばれない」ってこともある。

どちらも複数の相手と同時並行なのだ。

 

これだからアプリは向いていない。

 

人は自慰ばかりして生きている

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人間なんていい加減なもので、

その時の気分や体調、ホルモンバランスなどで、

その主張は180度変わることも珍しくない。


自分が可愛いのだ。

そして自分を気持ちよくさせてあげたいのだ。

常に自分を慰めている。


何も性欲だけではない。

人は自慰ばかりして生きているのだ。


村田沙耶香『タダイマトビラ』


かなり衝撃的な作品だった。

機能不全家族の中で「家族欲」を満たすために自分を慰める。

ぬいぐるみ「ニナオ」を使った、

「カゾクヨナニー」と呼ぶ行為で、


人にはいろいろな種類の欲望がある。

だけれども手に入らないものも多い。


しらずしらずのうちに、

代わりのものでそれを埋めている。


「愛されたい」


そういう欲望が強いと、

恋愛体質になるのかな。


自分の中でのハードルを下げて、

「誰でもいい」って、


その中で後はタイミング、

ちょうどすっぽりと穴にハマるように、

お互いが惹かれていく。


そういう事なのかな。


条件がどうだとか、

状況がどうだとか、

そういうことに縛られているうちは、

おそらく恋に落ちることはない。


もっとフラットに構えていて、

ふとした瞬間にすっぽりと落ちる。

 

「笑窪は恋の落とし穴」らしい。

素敵な笑顔が恋へと誘うのだ。


私は理性的すぎる。

自分を、そして周りの環境をコントロールしたがる。

 

だけれども、

「愛されたい」

心からそう思っている。

もっと欲望に正直になればいいのに、


たとえ代わりのものであっても、

寄り添ってみれば案外うまくいく。


人って愛に飢えているのだから、


だから一度一緒になってしまえば、

それを与えてくれる相手からはなかなか離れられない。

そうして少なからず依存関係に陥る。

 

どんなにクズな相手でも肯定したがる。

悪いところを少しばかりの良いところで上書きしてしまう。

自分の欲望を満たして欲しいから、


あれこれ考えたって仕方がない。

結局は運命様に従えばいいのだ。


「なんで一緒になったの?」


夫婦に問いかけたときに、

最も多い回答は「好きだったから」ではない。


照れ隠しもあるかもしれないけれど、

「なんとなく」だとか、

「一緒にいて楽」だとか、

「タイミングが合った」なのだ。

 

一緒になるのに確固たる理由なんてない。

 

共通項を強いて挙げるならば、

「満たされたい」から、

 

人は「欲望」の奴隷、

行動の一つ一つが自分を慰めるため、

 

人は「満たされる」ために、

自分を「満たしてあげる」ために、

そのために生きているのだ。

 

 

スクラップアンドビルド

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羽田圭介さんの芥川賞受賞作、

手に取る機会があり読んでみた。


著者は私と同世代、

他の作品を読んではいないけれど、

「これは」と思った。


「言いたいことを代弁する」

その意味で世代の旗手として力を見せつけた作品、


設定がとてもうまい。


28歳、無職の主人公、

要介護で「死にたい」が口癖の祖父と同居、

母は実父である祖父を蔑ろにしている。


主人公は自分を再構築するために努力を重ねている。

ハードなトレーニングと行政書士の勉強に精を出して、


だいぶニヒルなくせに、

「自分を高めようとしない人間は無価値」

そういう信念のもと生きている。


祖父と大して歳の変わらない、

クリント・イーストウッドに尊敬の念をいだきつつ、

「死にたい」が口癖の祖父と、

「私なんてブスだから」が口癖の、

「とりあえず」付き合っている小太りの彼女に対して、

抑えがたい嫌悪感を抱いている。


そんな意識高い系なのに、

設定は敢えて「無職」の主人公、


そこに凄みを感じる。


面接に落ち続ける主人公、

努力を重ねても社会的に認められるとは限らない。


「医療費」と言う形で、

老人を無駄に延命させるために、

社会から無自覚に搾取され続ける若者たち、


リターンを望めない、

今を自転車操業するための年金、

無職ながら律儀に払ってきたけれど、

馬鹿らしくなり払うことをやめる描写、


30歳前後、

「まだ先に進めるかもしれない」

「そろそろ身を固める時期かもしれない」


「社会と自分」

そのことについて向き合うと言う意味では、

最も多感なお年頃、


そして「若者」といえる最後の年代、


少なくとも無自覚ではない、

小賢しい若者から見た社会構造の歪さを鋭く抉り出す。


祖父に対して度を超えてイキり出す主人公、

「大丈夫かこいつ」と思ったが、

最後に救いがある。


役割があることで祖父に居場所をもらっていた。

そして祖父は自分が思うよりもずっと、

「生」にしがみつき周りに感謝していた。


自分のちっぽけさを知ることは「救い」


スクラップアンドビルド


タイトルが秀逸、

これを1つの物語として、

これ以上ない形で表現している。


本来は前向きな意味、

「効率化」の象徴として使われる単語、


だけれども本作では、

サイレントマジョリティー」


「社会を再構築してほしい」という、

若者たちの声にならない叫びなのだろう。


「死にたい、死にたい」って、

何をするでもなく生きるために生きる老人、

(表向きはそう見える)


そのために湯水のごとく使われる税金、


そういうのに、

若者たちだって気がついているよ。


ただ多くの場合は力がない。

力があっても自分のためにしか立ち上がらない。


日本って、

そういう国になってしまったのかな。


もう5年くらい前の作品、


5年経って変わったことは、

少しズレた子育て支援少子化対策くらい、


男性社員は育休を勧められるけれど、

取ったところで戻ってきたら居場所はない。


女性社員はこぞって産休、育休を取り、

当たり前のように「復帰するかは定かではない」という。

その間、給与の6割は保障されるという。


「自分の身は自分で守るしかない」


もうみんなそうなってしまったよ。

だから社会を変えようだなんて誰も思わない。


若者たちは搾取を受け入れて、

「自分で考える」と言う手間を手放した。


娯楽は世界に溢れているものだから、

興味のあることだけをして楽しく過ごしていればいいのだ。


「諦めることに慣れてしまった」


手に入らないものはたくさんあるけれど、

それに近いまがい物もたくさんある。


自分にはまがい物で十分、

ほどほどに幸せならばそれでいいじゃない。


「飼いならされているな」


どうやらいつの間にか、

社会に飼いならされてしまったようだ。


もしかしたらそう見えるだけで、

心のうちはどうなのかわからないけれど、


なんだか鈍く、

ほんとに鈍く、

ほんの少しだけ、

だけれども、

芯に響くように、

やる気を起こさせてくれた。


そんな作品、