最近目にした言葉、
コミュニケーションには、
「時間」と「労力」というコストがかかる。
だからコミュニケーションコストの高い人は相手にされない。
要はめんどくさい人は敬遠されるのだ。
その人にしかできないことがあれば仕方がない。
コストが高くても我慢するしかない。
だけれどもそうでなければ他の人に頼む。
それはそうだろう。
誰だってめんどくさいのは嫌だ。
裏を返せば、
コミュニケーションコストを下げれば、
どんどん人脈は広がっていく。
相手の話をしっかりと受け止めて、
自分から話しかけるようにして、
それなりのリターンを提供する。
凡人の生きる道ってここにあるんじゃないかな。
だけれども気を付けなければいけない。
コミュニケーションコストが低すぎると、
搾取の対象になる。
自尊心を切り売りばかりしていたら、
いつの間にか売るものがなくなってしまって、
結局は時間を売ることになる。
そうして自分の時間を失うことになる。
自分らしく生きるためには、
ある程度の自己主張は必要なのだ。
そしてそれに伴うだけの力も、
結局のところ、
自分の立場や能力に対して適正な、
コミュニケーションコストに落ち着くことが鍵なのか。
それを見誤ってしまうと、
誰にも相手にされないか、
人から食い物にされてしまう。
「めんどくさいから疎遠になる」
そういうことはたくさんある。
結局、人はコスパに縛られているのだ。
男女の仲だってそう。
結婚ってものすごくコスパの悪いこと、
だけれどもそれでしか得られないことは多いのだろう。
少なくとも外から見ている限りは、
だから多くの人は結婚をしたがるのだ。
私も含めて、
一人は嫌だ。
だけれども自分を殺してまで人付き合いをしたくはない。
人って、
その狭間に揺れて生きているのかな。