「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

コミュニケーションコスト

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最近目にした言葉、


コミュニケーションには、

「時間」と「労力」というコストがかかる。

 

だからコミュニケーションコストの高い人は相手にされない。

要はめんどくさい人は敬遠されるのだ。


その人にしかできないことがあれば仕方がない。

コストが高くても我慢するしかない。

だけれどもそうでなければ他の人に頼む。


それはそうだろう。

誰だってめんどくさいのは嫌だ。


裏を返せば、

コミュニケーションコストを下げれば、

どんどん人脈は広がっていく。


相手の話をしっかりと受け止めて、

自分から話しかけるようにして、

それなりのリターンを提供する。

凡人の生きる道ってここにあるんじゃないかな。


だけれども気を付けなければいけない。


コミュニケーションコストが低すぎると、

搾取の対象になる。


自尊心を切り売りばかりしていたら、

いつの間にか売るものがなくなってしまって、

結局は時間を売ることになる。

そうして自分の時間を失うことになる。


自分らしく生きるためには、

ある程度の自己主張は必要なのだ。

そしてそれに伴うだけの力も、


結局のところ、

自分の立場や能力に対して適正な、

コミュニケーションコストに落ち着くことが鍵なのか。


それを見誤ってしまうと、

誰にも相手にされないか、

人から食い物にされてしまう。


「めんどくさいから疎遠になる」


そういうことはたくさんある。

結局、人はコスパに縛られているのだ。


男女の仲だってそう。

結婚ってものすごくコスパの悪いこと、

だけれどもそれでしか得られないことは多いのだろう。

少なくとも外から見ている限りは、


だから多くの人は結婚をしたがるのだ。

私も含めて、

 

一人は嫌だ。

だけれども自分を殺してまで人付き合いをしたくはない。

 

人って、

その狭間に揺れて生きているのかな。

 

もしも自分が異性として目の前に現れたら

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意外とうまく行きそうな気がするな。


私は自分のことが好きなのか。

ナルシストもいいところ、


一途に向き合ってくれるし、

会話のテンポや話題だって合う。

器量だって良くはないが悪くはない。


「同族嫌悪」


そういう言葉がある。


人から見えている自分と、

自分が認識している自分には乖離がある。


人は自分の嫌いな部分に目が行きがち、

だからそこを投影して同族嫌悪に陥るのだろう。


私は私のどこが嫌いなのか。


いつまでも引きずって立ち直りの遅いところ、

いざというときに勇気が足りないところ、

いいところまで行って結果が出ないところ、


なんだ。

可愛いものではないか。


相手のそんなところくらいは、

笑って許せるな。


容姿は少なくとも美人ではないだろう。

年齢の方はギリギリだ。


これでは、

容姿と年齢で足切りしてしまうかもしれない。


会って話してみないとわからないのに、

そうやって出会いを狭めている。

 

一人一人とのやり取りには限界があるから、

数字だけで関係が終わってしまう。

その中に私にとっての世界で一番素敵な人がいるかもしれないのに、


婚活って、

不自然なもの、


人柄よりも、

条件が先に来てしまうから、

人を道具のように見てしまう。

 

できるだけ、

じっくりと向き合って、

ゆっくりと時間をかけて、

そうやって距離を縮めていくしかないのかな。


「生身の人との触れ合い」


結局はそれを求めているのだ。

メッセージだけで自尊感情を満たしたところで、

それは独りよがりなのかもしれない。

 

今やりとりしているお相手は、

昔の自分にとてもよく似ている。

そこに魅力を感じている。

 

私はやはり自分が好き、

ナルシストなのだな。

 

600の記事を書いて

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昨日の記事は600個目の投稿となりました。


500の時を振り返ってみると、

愛犬の亡くなる直前でした。


そこから3ヶ月余り、

なんとなく楽しく過ごせています。

辛いことは亡くなったあの子が、

あの世に持っていってくれたのでしょうか。


どん底から始まったこの100日間、

少しは上向きに進んでいると思います。


気持ちを吐き出すために始めたブログ、

 

少し前は吐き出してもキリがないほどでしたが、

今はネタを探すのにも一苦労、

気持ちが落ち着いたのかもしれません。


過去に書きためたストックは膨大なので、

続けるための更新に困ることはありませんが、

今の気持ちと大きく乖離しているものもあるので、

その辺りは悩みどころです。


「儚さ」や「切なさ」を売りにして書いてきたので、

「辛いよ。苦しいよ」って、

そんなことを書いている方がブログは盛況なのかもしれません。


だけれどもブログを始めてから2年近く経ちます。

そろそろ私の心はそういうものから離れたがっているのでしょうか。


当ブログの一貫したテーマは、

「私と世界との関わりかた」


世界の見え方が少し変わってきたのかな。

灰色だったものが少し色鮮やかに、

 

「幸せばかりを目で追うと幸せにはならない」

人の幸せと自分を比べてしまうから、

 

これからも私の視点で綴ります。

 

しばらく停滞していましたが、

ここ最近はまた読者数が少し伸びてきました。

本当にありがたいことです。


いつもご覧いただき、

スターやブックマークまでつけていただき、

本当にありがとうございます。


これからも気が向いたらお立ち寄りください。

 

なんだかうまくいきそうな予感

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先日書いた、少し前のめりな年下真面目女子、

初めて会ったその日からずっとLINEを続けている。

毎日途切れることなくずっとだ。


待ち合わせでは私よりも先に来て待っていた。

 

私はだいぶ早めに来て、

先に待つという紳士を気取るタイプだから、

10人以上とデートを重ねて初めてのことだった。


「今のところはとても誠実な人だと思います」


ネットの出会いは信用していない。

「誰に対しても」と前置きをしながらも、

どこか私に対しても強い警戒心を持っていたみたい。


会ってから別れる時、

大体は好印象だと笑顔で手を振ってくれる。

 

そうでなければ、

私の「またお会いしましょう」に対して、

濁した返答で終わる。

 

その反応が一つのバロメーター、


だけれども、

この子はそのどちらでもなかった。


気持ちの高ぶりを隠すように、

ぎこちない笑顔と丁寧なお辞儀、


別れかたひとつとっても

「とても真面目な子」

そういう印象だった。


「不器用で一途で、

努力の先にあるものを信じている」

まるで昔の私みたい。


毎日やりとりを続けていて、

「生活にハリが出てきたな」って、

なんだかそう思う。


「真っ直ぐに向き合ってくれている」


前の子みたいに変に近い距離感ではなく、

不器用に真っ直ぐに、

私のことを知りたいのだろうなって、

(パートナーとしての品定めも含めて)

そういう感じ、


次に会う約束はだいぶ先になるけれど、

それまでにゆっくりと距離は縮まっているのかもしれない。


前は燃え上がるように、

急速に縮まっていった。

初対面なのに別れ際には、

お互いが恋人のように振る舞い、

心を踊らせるくらいに、

 

あの感覚が忘れられなくて、

そういう出会いを求めていたけれど、

そうではないのだ。


徐々に「警戒心」と「猜疑心」

そういう名の絡まった糸を解いていく。

そういう作業が必要、


絡まったまま先に進んでも、

どこかでつまずくのだ。


「信用してもらっている」


いくらそう見えたところで、

それは相手の着ている「着ぐるみ」に過ぎない。


ファスナーの中身を引き摺り出すには、

地道な作業が必要、


私が求めているのは心のつながり、

心から「一緒にいたい」と思える人との出会い。

着ぐるみに騙されてはいけないのだ。


地道に少しずつ、

近づいているのかな。


男なんて単純なもの、

特に私みたいな愛に飢えた男はそう。

駆け引きのない。

真っ直ぐな好意に弱いのだ。


もう少しかな。


相手の好意にほだされて、

心惹かれている自分に気がついた。

 

「人として信用できる」

 

それって一番大事なことなのに、

着ぐるみにばかり心を奪われて、

大事なところが見えなくなっていたのかもしれない。

 

たくさん傷付いたけれど、

これまでの経験も無駄ではなかったのだな。

 

精神的レイプ

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体だけではない。

心だって犯される。


乱暴に鷲掴みにされて、

さんざん弄ばれた挙げ句、


代わりのものが見つかったら、

最後はゴミ箱に捨てられる。


ご丁寧なことに、

「本気で好きだった」みたいな、

呪いのメッセージを添えて、


「自分は悪者じゃない」


加害者のくせして被害者ぶることで、

自己正当化に躍起になる。


「未遂だったから無罪でしょ」


未遂だってれっきとした罪、

有罪なのだ。


「自分のことしか考えていない」

 

だからそういうことになる。

表向きだけうまく行けばそれでいいのか。

不安を解消するために人を道具のように使い捨てて、


チヤホヤされることに慣れ切っているから、

責任のとり方もわからないのだろう。


「可愛いは正義」


頭の中はそれしかないのか。


可愛らしい着ぐるみを着て、

可愛い仕草、

可愛い声で、

愛想を振りまいているけれど、

背中をよく見るとファスナーが付いているな。


その着ぐるみは、

世の中を有利に生きるための仮の姿、


いくつも着ぐるみを持ち歩いて、

状況によってそれを使い分けて、


「ちょっと失礼します」


お手洗いから戻ってきたら、

もう別の着ぐるみに着替えている。


その化けの皮を剥いだら、

どんなケダモノが飛び出すのだろう。

想像もつかないな。


「人の心を食い物にする魔物」


容姿を武器にして生きる女って、

みんなそういうものなのかな。

 

男も同じか。

 

「子供が欲しい」ってものすごくポジティブな考え

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世間一般的に見て、

おそらく多数派に属するチームの一つに、

「子供が欲しい」チームというものがある。


相手もいなければ経験もないので、

「できれば」という注釈付きだが、

私もそのチームに属している。


婚活のプロフィールを拝見すると、

ほとんどの女性もそのチームに属しているようだ。


「当たり前だから」


女性からすれば大変な身体的苦痛を生じること、

場合によっては命に及ぶほど、


だけれども、

それを承知の上で多くの女性は「子供が欲しい」

当たり前のようにそれを希望する。


それって、

とてもポジティブなことなんじゃないかな。


それも「本能」という、

螺旋が生み出した感情からくるものなのかな。


「子供を作る」ということ、


人類という括りから一歩引いて外側に立って考えてみると、

「種族」という目で見れば存続に必須なこと、

だけれども「個」という視点からすれば、

圧倒的にリスクの方が大きい。


あらゆることに対してリスクを取らない。

 

そういう選択を好む種族なはずなのに、

この点については迷わずリスクを取る。


それって不思議なこと、


螺旋に組み込まれた感情というものは、

私が思っている以上に大きく、

我々の行動に作用しているようだ。


「白黒つけるパンダだよ」


人だって動物、

もっと気持ちを解放してもいいのかもしれないな。

「本能」に従ってさ。

 

「やりたいこと」に蓋をして、

「やらなくてはいけないこと」ばかりに縛られる。

 

それではいくら長く生きたところで、

時はただいたずらに流れるだけ、

 

できることはどんどん限られていく。

身体的に、精神的に、どんどん衰えていく。

 

だから、

「できること」を引っ掴むくらいに積極的に、

本能のままに生きればいい。

 

理性を働かそうとしなくても、

理性に縛られるくらいには小市民、

大胆なくらいがちょうどいいのだ。

 

「人類の未来に希望を抱いている」

 

「子供が欲しい」ってことはそういうこと、

絶望の未来に自分の子供を産み落としたいとは、

誰も思ったりはしないだろう。

 

我々の螺旋が生み出す感情には、

「希望」が組み込まれているということ、

 

私も一応は、

「子供が欲しい」チームの一員、

人類の未来を諦めてはいないのだ。

 

そして人類の多数派は、

「子供が欲しい」チームだ。

 

そう考えると少しだけ、

前向きに生きられるのかもしれないな。

 

一緒になれない理由

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そんなものは挙げればきりがない。

 

元はと言えば、

赤の他人同士なのだから、

 

そういうことばかりに目が向いたら終わり、

恋愛は幻想の中でしか存在できないのだ。

 

甘く切なく綺麗なままの美しい世界、

 

世界の中心にいる二人、

周りのことは見えない。

「お互いがいればそれでいい」だなんて、

本気でそう思っているうちが華、

 

魔法は解けてしまうのだ。

 

それでも一緒にいたいと思う理由があるのか。

それが先に進む条件なのだろう。

 

男と女なんて単純なもの、

違う生き物だから惹かれ合う。

そして欲求を満たした先は「条件」が必要、

 

その「条件」と睨めっこしながら、

先に進む理由を探すのだ。

 

いくつもいくつも探して探して、

これでもかというくらいに材料を探して、

少しでも安心しようとする。

 

材料一つ見つけたら、

心躍らせて、

材料一つ失ったら、

停滞するどころか遠ざける。

 

何か一つでも決定的な躊躇する理由があれば、

今まで積み重ねてきたたくさんの思い出たちは、

音を立てて崩れてしまう。

 

人は不安には勝てない。

 

安心の材料はたくさん必要なのに、

不安に必要なのはただ一つだけなのだ。

 

何も進まない。

何も進めない。

何一つ動かない。

 

人は余程追い詰められない限り、

環境を変えたくはないのだ。

 

だから、

変わらなくていい理由を、

いつだって探している。

 

理由は外にあるのではない。

自分の中にあるのだ。

 

先に進まなくていい理由を探しているうちは、

結婚なんてできるはずがないな。