「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

100日後に死ぬワニ

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「命限りあり」


Twitterで話題になっている投稿、

『100日後に死ぬワニ』


何気ない日常を過ごしているけれど、

誰もが実は『100日後に死ぬワニ』なのかもしれない。


私にはやりたいことがたくさんある。

やらなければならないこともたくさんある。

待っていたら誰かが解決してくれるわけではない。


だから、

「たくさんの時間と体力が欲しい」

今は心からそう思う。


きっとそれだけ私が人生に前のめりだってこと、

それは喜ぶべきことなのかな。


私には大きな転機がある。

パニック障害にかかったことだ。


半分人生をやり直すくらい、

大きなインパクトのある出来事だった。


大きく人生を停滞させて、

大きな恋を成就させることもできなかった。


だけれども皮肉なことに、

そこから多くのことを学んだ。

 

今ではそれで良かったと思えるくらいに、

人生を前に進めている。


この経験の前と後では、

世界の見え方が大きく変わってしまったみたい。


しばらくしてブログを始めるようになり、

一日の密度は格段に濃くなった。


良くも悪くも「生きている実感」を強く感じている。

 

どん底から這い上がって、

今でも悩みは尽きないけれど、

これも人生を彩る1ページなのかな。

 

いつ終わりが来るかはわからない。

だからその時を迎えても後悔しないように、

毎日を積み重ねる。

 

明日のことはわからない。

昨日のことは変わらない。

だから今日のことに全力で向き合う。

 

その積み重ねで、

後悔は少しずつゼロに近づくのかな。

 

うまくいかなくたっていい。

それも含めて「経験」だから、

 

臆病になって、

行動できないことの方がもったいない。

「経験」するチャンスを逃すことになるから、

 

人から悪意を向けられてもビクともしない、

ダイヤモンドのような自尊心、

そういうものを身につけられたらな。

 

まだまだ前のめりでいい。

経験したいことはたくさんあるのだ。

 

「誠実な女性」って天然記念物か何かなのかな?

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私はどんな出会いであっても、

関わった人に対しては誠実に向き合いたいと思っている。


だから必要以上に自分を飾らないし、

下手に気持ちを掴むようなことはしない。


だけれどもネットでの出会いって違うのかな。


あまりにも浅はかで不誠実な女とばかり関わるものだから、

「女」自体がそういう生き物なのかなと、

勘違いしてしまいそうになる。


私の家族に関わる悩みを打ち明けた時に、

真摯に「応援している」と励ましてくれた。


だけれども、

それはその場限りの言葉だった。


いろんな人とやりとりをしていたのだろうけれど、

その話をしたことすら覚えていなかった。


「いい女を演じるための道具」


そうやって言葉を使う。


心にもない言葉で、

心を繋ぎ止めようとしたところで、

どこかでボロが出るよ。


ましてや、そういうお仕事をしているプロでもないのだから、

簡単にメッキは剥がれてしまう。


「好きになったら一途」


どの口がいうのだろう。

自己分析からやり直したほうがいい。


あれだけ前のめりに接してきて、

次に会う約束までして、

「少し違うかな」と思ったら音沙汰なし、


女って怖い。

一瞬で変われるのだな。


それとも初めから終わりまで、

ずっと演技だったのかな。


不器用なふりをして、

誠実そうに見える着ぐるみを着て、

着ぐるみの中では入念に品定め、


ネットでの出会いだからそうなのか。

それとも婚活ってそういうものなのか。

はたまた「女」ってそういう生き物なのか。


もはやわからない。

 

「誠実な女性」って、天然記念物か何かなのかな。

 

少なくとも私の周りには、

そう見える着ぐるみを着ただけの紛い物ばかりのようだ。


自分の身を守るために、

男を不安を解消するための道具として使い捨てる。

 

こちらが誠実に向き合おうとするだけ損をしてしまうのかな。


「不器用で、真っ直ぐで、誠実そう」


今回の子は私からはそう見えていたから、

こういう感じで終わるとは思わなかった。


少なくともわかったことは、

「私には女性を見る目が全くない」ということ、

 

いくら出会いを重ねても、

それは変わらないことなのだ。


改めていい機会だったな。

 

ネットでの婚活って先のことを考えてしまうのかな

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先日デートをした5つ年下の前のめり女子と、

連絡が途絶えた。


会うまでは毎日LINEのやりとりをしていて、

会っている時も前のめり、

 

肌の触れ合う距離まで近づいてきて、

下から私を覗き込む。

そんな姿に少しドキッとしたり、

映画が終わってチラリと隣を覗き込むと目が合った。

そこから自然と溢れる「何食べようか?」

そこに心地よさを感じたり、

 

次に会う約束までして別れた。


「この感じでうまくいかないなんて」

 

そういうことが続いている。


もはや私に何か欠陥があるのだろう。

会っている時は「優しくて話を聞いてくれて良い人」


だけれども少し離れてみて、

客観的に振り返ってみると、

 

「物足りない」


そういうことなのかな。


きっと私には「決め手」がないのだ。

昔からそうだった。


良いところまで行くけれど、

大きな結果は出ない。


70点、80点を狙って生きているから、

誰かにとっての100点にはなれない。


20代女子の婚活って、

まだまだ時間があるのだろうから、

100点に近い人を求めるのだ。


だから若い子と会っても、

いつもうまくいかない。


「もっと良い人がいるんじゃないかな」って、

そうやって切り捨てられるのかな。


私の方は年も年だから、

ある程度は妥協している部分がある。


それでも選ばれない。


ネットでの婚活って、

先のことを考えてしまうのかな。


うまくいってから、

周りに馴れ初めをどう説明したら良いのかとか、

 

将来生まれてくるかもしれない子供に、

「お父さんとお母さんはどうやって知り合ったの?」って聞かれた時に、

どう説明したら良いんだろうとか、

 

そんなことまで考える。

私だけだろうか。


そこに後ろめたい思いがあるのなら、

相手に対しても不誠実なのだから、

辞めてしまえばいいのにね。


だからうまくいかない。


そんなことはどうでもいいと思えるくらいに惹かれる。

そんな人との出会い。


それを一度経験してしまったから、

あとの出会いは全て妥協、


10人と会ってたった一人、

10分の一に賭けるつもりで、

「またか」を積み重ねるのかな。


それとも、

どこかで妥協した先に、

幸せな将来はあるのかな。


「どうしようもなく惹かれ合う」


そう思える人と結ばれることは、

これから先にあるのかな。

 

人生って、

どこで折り合いをつければいいのだろう。

 

仕事のできる人ってどんな人?

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「仕事のできる人」

それは「課題解決力の高い人」


そう思って仕事をしてきた。


だけれども、

どうやらそれが覆るかもしれないらしい。

ある記事を読んでいてそう感じた。


「正解」のコモディティ化


システム化が進みすぎて、

それほど多様な課題は少なくなっている。


あらゆるニーズに対応を重ねて、

おおよそ起こりうるものに対しては、

すでにシステム化されている。


臨時で必要な課題解決策は底をみせてきた。

どうやらそういうことみたいだ。


加えて定形処理はAIの方が遥かに得意、


システム化するということは、

非定型を定型にするということ、

課題解決を人間に任せる必要はないのだ。


記事によると、

人間に求められるのは「課題発見力」とのこと、


どの方向に進んでも、

ビジネスに創造力が求められる時代らしい。


そう考えると、

ブログを書くって、

それを鍛えるためにとても合理的なこと、


「話が面白い」


そう言われることが増えた。

女性と触れ合う経験を積んだこともあるけれど、

こうして日々の感情や出来事、考えを文字に起こしている。


その作業って人生の密度を濃くする。


ふと浮かんでは消える、

思考のカケラを掴み取って、

それを引き伸ばして一つの文章を組み立てる。


そういうことを創造と言わずに何というのか。

間違いなく「創造」を積み重ねているのだ。


ブロガーの皆さん、

私達はどうやら時代の最先端を行っているらしい。


この作業に無駄はないはず、

自信を持って書き続けよう。

 

真剣さを馬鹿にするつもりはないけれど、その真剣さについていけない時がある

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急にトランス状態に入って、

急進的に物事を進め出す人、


それまでは別のことに夢中だったのに、

急にこちらを引っ掻き回してくる。


「おっしゃることはわかりますよ」


だけれどもこちらはこちらのペースで進めてきた。

それに他にも抱えているものはたくさんある。

急にこちらを大きく進めてほしいと言われたって、

それには無理がある。


「それぞれの状況を考えてよ」


数字ばかりが先行して、

どんな手を使ってもそれを達成しようとして、

そういうやり方を続けていたら、

現場は疲弊するばかり、


旗を持って先頭を走っているつもりでいても、

振り返ってみたら誰もついてきていないよ。


その状態で戦場に向かったところで、

勝ち目などあるはずがない。


「目的はなんですか」


最近流行りのサステナブル

長い目で見て利益を上げることでしょ。


功名心ばかり先行して、

「ついてこれない方が悪い」って、

そういう時代は終わったのだ。


時代は変わっているのに、

組織の人を評価する目は変わらない。


いかに個として力をつけるのか。

社会人即個人事業主


自分で自分をマネジメントしてあげないと、

気が付いたら手遅れ、


言われたことしかできない人は、

社会から必要とされない時代は、

すぐそこまできているのだ。


真剣に頑張っている人、

それを馬鹿にする奴は馬鹿だけど、

何も考えずにそれに乗っかる奴も馬鹿、


自分の身は自分で守るしかないのだ。

 

ブロガーだって表現者

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ありがたいことに、

私のブログにはたくさんの読者の方がいる。

 

状況を変えたくて始めたブログ、

始めたときはこんなに多くの方と交流することになるとは思っても見なかった。

 

目的は様々あれど、

人に読まれるものを書いている。

そういう意味ではブロガーだって表現者だ。


書き始めてもう少しで2年になる。

だいぶこの生活が板についてきたみたい。


ふと思い浮かんだフレーズがあると、

スマホを取り出してそれを書き留める。

気が向いた時にそれを膨らませて記事にする。


そんな生活だ。


「何気なく通り過ぎてしまう感情」

 

そういうものってたくさんある。

 

思考は絶え間なく続いているものだから、

泡のようにはかなく消えてしまう。

そして消えてしまったら、

もう二度と浮かんでこないかもしれない。

 

だからそのカケラを拾い集めて紡ぐ。

私のブログってそういうもの、


「自分の感情を言葉にすること」

 

それをスムーズにできるようになった気がする。

ブログを続けたことで手に入れたものだ。


自分はどういうことを考えて生きているのか、

それを書き留めることで客観視できるから、

掛け値なしに自分を知ることができる。


ビジネスにおいても、人間関係でも、

もちろん恋愛においても、

それって、とても重要なこと、


状況は変わらなくても、

相変わらず苦しみ続けても、

書き続けることに意味はある。

それは実感している。


だけれども気をつけなければならない。

時には自分の書いたことに感情が流されてしまうこともある。


「かわいそうな私」


いとも簡単にそういう自分を演出することができるのだ。

自分で自分を「かわいそうな私」にしてしまう。

 

私もそうだ。

嫌いなあの子のことばかり書いていたときは、

随分と負の感情に流されてしまった。


自分の感情を形にして、

いやでもそれを読み返す。

正の感情も負の感情も増幅させてしまうのだ。


そして時にはdisにバッシング、

身バレのリスクだってある。


ブログって諸刃の剣なのかもしれない。

そのことは忘れてはいけない。


「生を実感させてくれるもの」


苦しみも悲しみも、

楽しいことも嬉しいことも、

人一倍感じることができる。


私にとってのブログって、

そういうものなのかもしれない。


もう少しで、

ようやく春は来そうだ。

 

2年間、

 

この長い冬が終わるまでに、

何かを見つけて生きよう。

何かを信じて生きよう。

この冬が終わるまでに、

振り回されない生き方

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人は儚い生き物だから、

すぐに一喜一憂してしまう。


「今の苦しみがずっと続くわけではないんだよ」


そんなことは頭では理解していても、

一度甘美な思考の悪魔に惑わされてしまうと、

悪い方にばかり流されてしまう。


生活が乱れると、

そこからは早い。


寝られなくなり、

食べられなくなり、

冷静さを欠いていく。

 

ゼロに近い確率のことまで含めて、

最悪ばかりを想定して、

そんな妄想に押しつぶされて、

心は音を立てて崩れていく。

 

「あっ、壊れたな」って、

きっとその瞬間は自分でも分かるくらいに、


だからとにかく誰かの側にいること、

信頼できる誰かの側にいること、

そして包み隠さずに全てをさらけ出すこと、

 

受け止めてくれる誰かがいれば、

それだけで自分を客観的に見ることができる。


いかに自分が思考の悪魔に惑わされているか、

無意味なこだわりに支配されているか、

気が付いてしまえばたいしたことではない。

 

人は自分の殻に閉じこもっていると、

どんどんそこから抜け出せなくなってしまう。

 

苦しいこと、

辛いこと、

どんどん積み重なって、

捨てることができなくなる。

 

そしてだんだん、

その重さにも鈍感になって、

気がついた時には身動きが取れない。

 

だから誰かの手を借りること、

躊躇なく差し出された手を掴む。

 

それって「弱さ」ではない。

弱みをさらけ出せることは「強さ」

 

人って頼られることが好きなのだ。

そしてみんな自分の「弱さ」に怯えて生きているのだ。

 

それを知っていれば、

少しは世界が明るく見えるでしょ。

 

人の弱みを食い物にする奴は総スカン、

みんなが弱みをさらけ出してそれを補い合える。

そっちの方が効率が良いはずなのにね。

 

信頼できる人を増やすこと、

そして弱みをさらけ出せること、

 

それができればきっと、

潰れてしまうことはないんじゃないかな。