「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

モザイク

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モザイクがかけられていて、

大事なところが見えないのだ。


いやらしい話ではない。

人の心の話、


下心を隠して近付く。

表には心にもない「好き」

 

そういう時に限って、

それはもっともらしく聞こえてしまう。

 

それを武器にして心を掴もうとする。

そういう奴もいる。


だけれども、

心からの「好き」


何度も喉元まで上がって来ても、

なかなか体の外に出てはくれない。


「好き」


大気を震わせて、

あの人の耳まで届いたら消えてしまう。


形には残らない物だけれど、

言葉には「重さ」がある。


大気中をふわふわと漂っているくせに、

「ずしり」と、のしかかる。


人の心だけが感じる事のできる。

そんな「重さ」


その「重さ」を感じる事ができない。


それってモザイクのかかった世界で、

その中で生きているようなものなのかな。

 

ふわふわと漂って、

本人だけは幸せなのかもしれないけれど、


心からの「好き」を、

言葉に乗せて伝えることって、

裸を見せるようなものなのかな。


どこも隠されていない、

無防備なままで、

相手と向かい合うってことなのかな。

 

傷つくことを恐れるほどに、

なかなか表には出せない。

 

きっと心ってそういうもの、

出会った順番でいくらでも関係性は変わる

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ドラマ『知らなくていいコト』


「後から出会ったってだけで、

この気持ちを汚いもののように見られたくない」


そうやって不倫を肯定する愛人、

それに共感する同じく不倫に興じる主人公、


そりゃそうだけどさ。


「結婚」って契約行為、

愛がなくなっても責任は残るのだ。


大人になるって、

そういうことなのかな。


いや、何があっても自分で責任を取ること、

契約行為を破ったら法は守ってくれないのだ。


気持ちに正直に生きて、

後悔することってたくさんある。

もちろん逆も同じくらいある。

 

正直に生きられなくて、

後悔することも、


だから結局は誰からどう思われても、

自分のしたことに責任を取ること、

 

それが大人になるってことなのかな。

これは確か前にも同じことを書いた気がする。


自分にとっての世界で一番素敵な人よりも先に、

世界で二番目に素敵な人に出会うかもしれない。


そうした場合は、

その二番目の人を一番だと思うかもしれない。


そして結ばれた結果、

その後に一番の人に出会うこともある。


そうなったときに、

自分の心を押さえつけて、

それ以上、気持ちが動かないようにする。

最悪でも行動には至らないようにする。


それが社会のルールに則ると正しい行為、


人生って後悔の連続だから、

「なんでこの人と…」って、

そういうケースは多いのだろう。


それでも適齢期のうちに結婚したがる。

周りから遅れたくないから、

 

それって本能なのかな。

超自我に支配されていないかな。


チャンスを逃し続けている私が言うのもなんだけど、

結婚のために相手を探すのって、

なんだかむなしい気がする。

1年間続けてみてそう思った。


「本当に自分に合う人と出会えたならば、

相手もきっと同じように感じてくれる。

だからとんとん拍子にうまくいく」

 

よく言っていただける、

そういう既婚者の未婚者に対する優しさを、

とことん鵜呑みにしてみよう。

 

それと同時に、

そろそろ私も真剣に考えないといけない。

一人で生きていく道について、


これからお互いがたまらなく惹かれる相手に、

出会えるかもしれないけれど、

出会えないかもしれない。


「出会った順番でいくらでも関係性は変わる」

 

「運命の人」ってもしかしたら、

既に出会っていたのかもしれないけれど、

もう既にその人は誰かと一緒になっていて、

チャンスを逃し続けた私には、

これ以上チャンスは巡ってこないのかもしれない。


「もういいかな」

最近漠然と浮かんでくる言葉、

 

否定しなくていいところまで否定して、

なんだか自分がとても無価値に思えてくる。


「縁のない人生なんだ」


ほとんどゼロからいろいろと動いては見たけれど、

そういう覚悟を決めたほうが幸せになれるのかな。


それでも前に進まなければならない。

陽はまた昇るのだ。

そして沈むのだ。

 

命尽きるその日まで、

その繰り返しが続いていく。

 

うまくいかないことばかりに目を向けて、

それに引きずられても仕方がない。

 

状況はあまり変わらないけれど、

心境はだいぶ変わった。

 

「やるべきこと」をそろそろ見直したほうがいいのかもしれないな。

 

私が変わらなくても、

周りは変わるし、

周りから見た私も変わるのだ。

褒め上戸

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「お酒を飲むとどうなるんですか?」


先日デートをした時のこと、

お相手から不意にそう聞かれた。


少し考えて答えた。

「やたらと周りにいる人を褒めるようになるかな」


相手の女性は答える。

「なにそれ?最高じゃないですか」


そうしてその翌日から、

彼女は音信不通になったのだけれども、

 

「褒め上戸」

 

別に良く思われたかったわけではない。
振り返ってみるとそうなのだ。


会社でもそう。

友人ともそう。

私は酒が入るとやたらと褒める。


普段はどれだけ褒めそびれているのかというくらいに、

やたらと褒めている。


私はリアル「コウペンちゃん」か。

人によっては馬鹿にされていると思うのかな。


おそらく私の得意ゾーンは、

40代から60代だ。


男女問わず、

やたらと気に入ってもらえることが多い。


女性でも、

年上のお姉さまとは、

うまくやっていけるのだ。


パートナーとして意識しないからなのかな。

それとも私が若い子に気兼ねしているのかな。


お酒を飲むと本性が出るっていうけれど、

それならば私は「嫌われたくない」って、

そういう思いが強いのかもしれない。


だから先手を打って、

相手を褒めることで自分を認めてもらいたがるのかな。


見方によっては「いいやつ」

だけれども私は誰よりも私のことを知っているから、

だからネガティブな発想しか出てこないな。


だいぶ自意識を捨てられたつもりでいたけれど、

「嫌われたくない」

まだまだそう思っているのかもしれない。


上から目線だと嫌われるし、

下からだと舐められる。

女性との接し方って難しい。


だけれども、

意識しなければ関係を築けるのだ。


うまくいかないたびに、

自尊感情を傷つけられて、

若い女性に対する苦手意識が植えつけられるのかな。


はっきり言って女性が怖い。

若くてきれいな女性が怖い。


「友達の延長線」


最初の彼女はそうやって付き合った。


そう思えればいいのだけれど、

この年までこじらせて、

うまくいかないことばかりで、

「またうまくいかないのかな」って、

そういう自信のなさが伝わるのかな。


いくら上辺だけ取り繕っても、

女性の目から見れば、

腐れ童貞のこじらせ魔法使い男だって、

バレてしまうのかな。


するべき時にするべきことをしてこなかったから、

それも受け入れるしかない。

そして克服するしかない。


自信がなくて卑屈で、

女性が怖くて、

そんな男をパートナーにしたいと思う女性はいないのだ。

 

「優しい」からって「心」があるとは限らない

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「親切さと心は別のもの」


村上春樹世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド


「親切はただの習慣だから心とは違う。

心はもっと深く、もっと強く、もっと矛盾したもの」


自分の可能性の限界、

システムの中で生きること、

閉ざされた世界、


壁の中には「親切」はあるけれども、

「心」はない。


心は不安定で不可解な行動を起こす。

合理的に染まらない。

壁(システム)の中では邪魔なものだから、


心って一体どこにあるのだろう。


「怒り」だったり「悲しみ」

そういう負の感情に隠されているのかな。

 

だけれども常に不機嫌(に見える)人っているからな。

自意識に支配されていると意味もなくそうなる。

彼ら、彼女らにとってはそれが習慣なのだ。


10個年下の女性と結婚の決まった友人、

会うたびに隠し切れないほどの幸せが溢れている。

心ってそういう雰囲気だったり、

行動ではない何気ない姿に現れるものなのかな。


「優しさ」だとか、「親切」だとか、

そういうものって、

善く(というよりも人間らしく)生きていれば、

自然と備わる習慣のようなもの、


だからいくらそれを表に出したところで、

気持ちがあるとは限らない。


私の「優しさ」だって、

多くはそういう性質のもの、

ある意味では処世術なのだ。

そういう自覚はある。


そうやって生きているから、

上辺ばかりの女性とばかり縁があるのかな。


私はおそらく、

「結婚相手としてちょうどいい」のだろう。

だから周りにいる女性たちは、

妙齢になるとちょっとばかりアプローチをしてみる。


だけれどもそれで靡かないものだから、

他の男に切り替える。

 

私は気持ちを温めて、

固まるまでに時間がかかってしまうから、


「好き」なわけではない。

「ちょうどいい」のだ。


そこには心などない。

あくまでも可能性の一つ、

それくらいのもの、

 

私の「優しさ」と同じ、

ある意味では処世術だ。


それを私は「好意」と勘違いする。


「Like」ではなく、

「Love」の方なんじゃないかって、

そうやって勘違いする。


女性は現実的な生き物、


それに容姿が良くて、

好意を匂わせるくらいの行動力があれば、

普通の男は放って置かないから、

一通りの恋は経験してきているのだ。


だからもういい年して、

男女関係に甘酸っぱさなど求めていない。

私とは違って、


そもそもスタートラインが違う。

だからうまくいかない。


そういうことなのかな。


「心のありか」


それは誰にもわからない。

本人でさえも怪しい。

心はなかなか表には出てきてくれないのだ。


みんなその中でも、

誰かと関係を深めて、

過ごした時間を気持ちに還元して、

一緒になっていくのだ。


壁の中で、

心をどこかに置き去りにして、

生きるために生きるのだ。


少しばかりの幸せを糧にして、

生きるために生きるのだ。


人生ってそういうものなのかな。

恋愛って、結婚ってそういうものなのかな。


身を焦がすほどの気持ち、

それで痛い目を見ると心は動かなくなる。

自己防衛機能が働くのだ。

 

それを繰り返して、

人は大人になっていく。

 

「諦め」という名のおやつをお腹に溜め込んで、

なかなかそれを消化することはできない。

 

手足を動かすことをやめてしまうから、

体はどんどん重くなってしまうのだ。

 

それでも手足を動かすことをやめないで、

最後まで大人になる事ができないと、

尾崎豊さんのような人生を送るのかな。

 

人って、

心に蓋をして、

壁の中で、

生きていくしかないのかな。


心って、

脳が作り出した幻影に過ぎないのかな。

生きるのに不要なものなのかな。


心って、

なんだろう。

 

生きれば生きるほどわからなくなる。

 

女性不審の正体

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私は自分に対して厳しいのと同じくらい、

他人に対しても厳しいのだろう。


上辺はうまく取り繕うけれども、

心では相手を認めていない。


だから恋がうまく行かない。


よく「優しい」と言われる。

「優しすぎる」と言われることも珍しくない。


だけれども「優しさ」って、

ある意味では「あきらめ」の別の形、

相手にあまり期待していないのだ。

求めているものが少ないから、

だから誰に対しても優しくできる。


私が女性を好きになる時って、

「すごいな」がきっかけだったりする。


ある一面で「すごいな」って思うと、

そこから目で追うようになり、

気がつくと好意に変わっている。


そういう習性の持ち主だから、

女性から好意のようなものを寄せられても、

それを受けての自分の気持ちを固めるまでに時間がかかる。


おそらく目で追う方が先になって、

「すごいな」を見つけ出そうとするのだろう。

そうやって時間をかけて目で追って、

気持ちの固まる頃には相手は冷めている。


その繰り返し、


一途にまっすぐに、

私の気持ちが固まるのを待ってくれるような、

そんな女性はいないのだ。


「結婚」という名の列車にに乗り遅れないように、

みなさん取っ替え引っ替え可能性を探っているみたいだから、


私のやり方はおそらく現代に馴染まない。

だからチャンスを逃し続けるのだ。

 

だからここ最近は「とりあえず彼女を作らないと」って焦りから、

無理に好きになろうとしていたのかもしれない。

だけれども結局はうまくいかない。


そうこうしているうちに、

大した経験も重ねてこないで、

私の市場価値はどんどん下がる。


年齢って男でもなんだかんだ大事なんだな。

婚活を重ねてそう感じた。


年相応の経験を重ねていない。

だからデートをしても相手は不安を感じてしまうのかな。


もはや八方塞がりだ。

やるべき時にやるべきことをしてこなかった。

今更取り返すことはできないのかな。


意識しないと仲良くできるのに、

だから好意のようなものを寄せられるくらいにはなる。

意識すると途端にうまく接する事ができない。


今ではその自意識が広がって、

女性不審にまで陥っている。


「私の女性を見る目」


それをどうにかしないと、

もはや先には進めないな。


傷つくことに敏感になりすぎて、

不誠実さのかけらが見えるだけで、

「クソ女」ってそういうレッテルを貼る。


「処女性」


女性はどこか清らかなものって、

そう思い込んでいたのかな。


私の女性に対する神秘のベールは剥がれてしまった。

そこから先に見えたものは地獄だった。


どうやら末期みたい。


剥がれる前に誰かと一緒になれれば良かったのかな。

それはそれで地獄なのかもしれないけれど、

諦めがつくってものだ。

 

詰まるところ、

自分で作り上げた世界で、

ぬくぬくと生きていた私が悪いのだ。

 

こうなってくると、

一人で生きる道を模索した方が幸せなのかもしれない。

男の人が怖い

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そう言っている女性がいた。

私は女の人が怖い。


人はわからないものに惹かれると同時に、

わからないものを恐れるのかな。


そういうことはあるのかもしれない。

 

だけれども、

私の理由はおそらくそれだけではない。

たくさん傷つけられたから、

おそらくそっちの方だ。


これ以上傷つきたくないから、

だから関わる事が怖い。

 

求めたところで、

受け入れられない事が怖いから、

だからもう近づかない。


始まりがなければ終わりもないのだ。


遠くから眺めているだけでいい。

「綺麗だな」って眺めていればいい。

そうすれば綺麗なところしか見なくて済むから、


汚いところのない人なんていない。

どこかでそれを嫌悪する自分がいる。


私は自分のそういうところにも、

とことん向き合ってきたつもり、

人に対してもそれを求めてしまっているのかな。


だからズルさを野放しにして、

甘い蜜に群がる虫を捕食する様に、

人を道具のように都合よく使う。

そういう女がたまらなく嫌いだ。


綺麗な女性って、

そんなのばかりなのかな。

いや、男も同じなのだろう。

 

だから、

「男の人が怖い」

そういうことになる。

 

やはり男と女は違う生き物、

だからこそ「男」だとか「女」だとか、

そういう括りで見てしまう。


私は女性が怖いのではない。

若くて綺麗な女性が怖いのだな。


「人を食い物にしている」

きっと偏見が拭えないのだろう。


どこかで引け目を感じて、

受け入れてもらえるはずなどないと思っているのだろう。

 

そして、

偏見で相手を遠ざけることで、

自尊心を保つのだろう。

 

「恋愛対象」


そういう目的でしか、

女性を見ていない。


怖いのは、

若くて綺麗な女性ではないな。

 

本当に醜くて恐ろしいのは、

私の心なのだな。


女性を道具のように見ているのは、

私なのだな。

 

どうやら投げたブーメランが戻ってきたみたい。

 

さて、

これを受け止めるか。

これを受け流すか。


何だかもう消えてしまいたい。

 

どうにかしないと本当にまずいな

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今回は完全な毒抜きです。

 

ちょっと精神的にまずい。

コロナのことで仕事と生活に必要なこと以外の外出は控えている。

 

運動もしないものだから、

休日は家に篭ってAmazonプライムや溜まったドラマを見るばかり、

 

婚活の方も一通りやって区切りがつき、

有料会員の期限とともに休止した。

出会いを重ねるばかりで結局うまく行かず、

不誠実さにストレスばかりたまる。

 

仕事は仕事で例のクソ女が視界に入るだけでイライラする。

神経を逆撫するような態度ばかりとってくる。

自分の立場を守るための口だけの謝罪、

態度からは全くそれが伝わらない。

 

何の得にもならないから、

早くこの感情を捨てたいがどうにもならない。

 

夜中に目が覚める事が増えてきた。

目が覚めた途端にイライラしている事がわかる。

寝付けないとそこからアニメを1本見てから寝る。

睡眠時間は削られる。

 

そうなってくるとこれまでは気に障らなかった些細な事でさえイライラするようになる。

許容範囲が狭まるのだ。

 

うまく行かない恋愛事情を振り返るたびに、

なんだか消えたくなってくる。

 

もう少しでブログをはじめて2年間、

自分なりにがむしゃらに生きてきたけれど、

結局、状況は変わらない。

 

「恋」は薬なんだなって思う。

 

なんだかんだで、

たとえそれが気持ちのない相手だとしても、

女性とやりとりをしている期間だけは心が安定する。

誰かと会う約束があるだけで、

それが心の支えになる。

 

男としての自尊感情がズタボロなのだろう。

それを満たしてもらえるだけで心が安定する。

 

「恋」と呼べる代物ではなくても、

女性との接点があるだけで全然違う。

 

キャバクラや風俗、

ホストクラブが無くならないわけだ。

 

なんとも情けないな。

かなり末期まで来ている。

 

何かを変えないといけない。

この疲労感は精神的なもの、

 

この土日も予定はない。

コロナウイルスによって、

体ではなくメンタルをやられている。

 

外に出て、

公園でも散歩して、

誰かとお喋りして、

ちょっとなんとかしないとやばい。

 

こういう時に思う。

「一緒にいられる相手がいたらな」って、

 

なんで私にはいないんだろう。

こんなにがむしゃらに動いてきたのに、

 

振り返ってみると、

うまくいきそうだった相手は、

この2年だけで少なくとも片手くらいはいた。

そのチャンスを逃し続けている。

 

もう10年以上そんな調子、

これってある意味では奇跡なんじゃないかな。

 

どうして私の恋愛はうまく行かないのだろう。

大体のことは手の届く範囲では卒なくこなして生きてきた。

たくさん努力はしてきたつもり、

 

恋愛だけがうまく行かないのだ。

どうしてだろう。

 

「なんでこの人が?」って、

申し訳ないけれど私から見てそう思う人たちも、

どんどん結婚していく。

同じ波長の人っているのだろうな。

私の波長はものすごく狭いのかな。

 

2年間、

短いようで長い。

周りは大きく変わった。

多くの人が相手を見つけた。

 

アラサーの後半、

もう婚活するにしてもチャンスはさほどない。

この時期にこれだけやってダメならばもう無理なのかな。

 

向いていない。

諦めた方がずっと幸せになれるのかな。

 

その諦め方もわからないのだけれども、

 

変化の時期、

この時期になるとなんだか、

心がざわついてしまう。

 

この2年間は何だったのだろうって、

そういう後悔だけはしたくない。