30歳を過ぎてから、
私の身には何度か大きな変化があった。
パニック障害で「精神的」に死にかけて、
その数年後には病気で「肉体的」にも死にかけた。
その翌年には「謎の痺れ」のような症状に見舞われて、
いくら検査をしても「原因不明」と言われたこともあった。
「生きることの辛さ」
「生きること」ってこんなに大変なことなのだなって、
身をもって実感して生きている。
どんどん卑屈になっていき、
自分の存在価値を認めてあげられないからって、
「努力」を課すことで前に進んだ気になる。
自律神経はバカになって、
ストレス耐性は低くなって、
うまく動いてくれない体で生きるために、
生活をコントロールする。
日課はどんどん増えていき、
生活はどんどん雁字搦めになっていく。
「虚しさ」を埋めるために何かに勤しみ、
それでも「満たされないこと」から目を背けながらも、
視界の端ではちゃんと見ているのだ。
10歳以上若い子と接する機会が増えたけれど、
その「底なしの体力」や「人生に希望を持った目」
とても羨ましく思う。
かつての自分を思い出して奮起を試みるも、
体は思うように動いてはくれない。
私の体には随分と早く「老い」が来てしまったのだろうか。
「最近、夜中に目が覚めるのよ」と、
還暦を過ぎた母に言われたのだけれども、
「お母さん、俺は何年も前からそんな調子だよ」と、心の中でそう答える。
随分と「不便な体」になってしまったものだ。
「パフォーマンスを落とさないように」って、
私は私のことをコントロールしようとし過ぎているのかもしれない。
酒に強く、大食らい。
細かいことは気にせずに、理想のためにどんどん突き進む。
少し美化しているかもしれないけれど、
そんな20代を過ごした私、
30代になって衰えていく私、
どう頑張っても前と同じようには動けないのだ。
もちろん「手放したこと」は多いけれど、
それでも過去の自分を重ねて、
パフォーマンスを維持しようとルーティンは増えていく。
食事やサプリに運動習慣、
寝る前には念入りにストレッチ、
禁欲にまで手を出して頻度をコントロール、
私は私を監視しながら生きているのだ。
だから「自分は努力している」って、
「報われるべきだ」ってさ。
そんな「自意識」を手放すことができないのかな。
結局、私は私のことで精一杯なのだ。
だから、誰かと先に進むことを望んでいないのかもしれない。
まずは「自意識」を手放して、
自然体のままで生きられるようにならないと、
「習慣化」だとかって言って、
いろんなものを肉付けし過ぎているのかな。
その過剰なコントロールが「自意識」に変わる。
だから楽しいはずのゲームをしていても、
無駄な時間を過ごしているように感じてしまう。
そして、それが「自己否定」の入り口になり、
自身の「無価値化」を助長する。
とにかく目の前のことに夢中になればいいのかな。
先のことなんか考えずにさ。
ゲームをしている時はゲームに夢中になれば良いのかな。
「デフォルトモードネットワーク」
私には思考の隙間が足りないのかもしれない。
もっと何も考えない無駄な時間が必要なのだ。
私は何かに駆り立てられながら生きている。
手に入らないものは手に入らない。
仕方のないことじゃないか。
私は私の人生に、
まだまだ大きすぎる期待をしているのかな。