「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

あいみょん『愛を知るまでは』

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この曲で記事を書くのは2回目だろうか。

主題歌のドラマが放送されていた時に記事を書いた記憶がある。

 

今の私の心情を的確に表した曲。

流されていても、そこに自分の意志があると信じたい。

自分の力で何かを掴み取っているのだと信じたい。

 

その先に希望が待ち受けていると信じて。

 

 

 

あいみょん『愛を知るまでは』

流れに身を任せて

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どうも自分の力だけではコントロールできないことが多すぎる。

もはや、自分の能力が足りていないとかそういうレベルの話ではない。

歳をとるほどに、家族に対する責任が増えるほどに、そういうことは増えていくのだろう。

 

裏を返せば、私はこれまで甘い環境にいたのだ。

自分の力だけでなんとかなる世界なんて、優しい世界と言えるだろう。

そこからどんどん遠くに進んでいる気がする。

 

今年の目標の一つとして掲げたことに「コンフォートゾーンを広げる」というものがある。

環境に流されずに、どんな環境でも快適だと思えるようになれば最強だ。

ストレスフルな状況でも、それを挑戦の機会と捉えて楽しむことができたり、見知らぬ土地で未知のものに触れることに喜びを感じたり、そういう方向に自分を持って行きたいと考えている。

 

そうなると、逆に自分の力でコントロールしようと思わない方が、精神的に安定するのかもしれない。

私にどうにかできることと、私にはどうにもできないこと。

その二つに明確な差を設けて、どうしようもできないことは仕方がないと割り切る。

そういう能力が必要なのだろう。

 

まだまだ私は自分の可能性に期待をし過ぎているのだ。

それをもう少し手放しても良い。

それは決して、自らの可能性を否定するわけではない。期待値と現実に折り合いをつけて、ちょうど良いところにチューニングする作業だ。

今の私にはそれが足りていないのかもしれない。

 

環境に流されるがままにタスクをこなしているが、どうしてもそこに自分の意思を介在させたがる。

まだまだそんな青さが私の中に根付いているのだろう。

 

そろそろ、もう一つ大人になった方が良い。

自分の可能性を伸ばすことのできる舞台は、まだまだ随分と先まで続いている。

流れに身を任せていれば、おそらく望む未来に繋がっているはずだ。

今はそういう時期なのだ。

退職代行サービス会社が、退職代行サービスを使われた話

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面白い記事があった。

 

記事によると、退職代行サービスを使用して前の会社を辞めた人が、利用した退職代行サービスの会社にアルバイトで採用されて、その1カ月後に他社の退職代行サービスを利用して、退職代行サービスの会社を退職したそうだ。

 

なんともカオスな状況で笑ってしまった。

結局のところ退職した人は、無駄に退職代行サービス量だけを払ったことになる。

こうやって経済は回るのか。

消費の多様性からそう感じた。

 

この人は、また利用した別の退職代行サービス会社に就職するのだろうか。

そうなったらさらにカオスである。

 

そもそも、安易に退職代行サービスを使用した先に、まともな未来が待っているとは思えない。

正式な手続きを経ても、どうしても辞めさせてくれないからやむなくプロに頼むという使い方ならばまだしも、退職を会社に言い出すことが精神的苦痛だから退職代行サービスを利用する。

そんな状態で次の会社でやっていくことができるのだろうか。

 

結局、安易な方向に流されて、ネガティブな理由で会社を辞めた人は、新たな環境でも同じことを繰り返す。

環境に期待しても仕方がない。自分が変わるしかないのだ。

 

【プロ野球2024-25】FA戦線活況!

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オフシーズン初の野球記事です。

何やら今年はFA宣言をする選手がかなり多いようですね。

 

野手で一番注目されているのは、阪神の大山です。

悲劇のドラ1と言われ、指名と同時に会場でファンから悲鳴が上がったことは有名ですが、その後は主軸として阪神を支え続けました。

目立った成績を残した年はありませんが、コンスタントに4番として活躍していましたからね。

年俸はかなり高めですが、打撃に課題のある西武が動き出すと噂されています。

 

宣言が有力視されていますが、個人的には残留が基本線なのではないかと思っています。

西武が阪神以上に好条件を出すとは考えにくいですからね。

 

そして、投手の目玉となりそうなのが、すでにFA宣言したソフトバンクの石川柊太です。

こちらは移籍が濃厚ではないでしょうか。

 

人的補償のいらないCランクで、先発として実績があります。すでに多くの球団が獲得に動いており、スワローズも真っ先に調査に動きました。

巨人からは4年18億という破格の条件が提示されたとの報道まであります。

流石にこの額の争奪戦だと高値過ぎるように思いますが、実績のある先発投手でCランクですからね。

日本シリーズでも好投を見せましたし、まだまだやれそうです。

 

他にも、日本代表捕手であるソフトバンクの甲斐が宣言をするという話がありますし、広島の九里はメジャーを視野に入れた宣言との報道もあります。

今年は来年には無いくらい大物がFA宣言していますね!

 

スワローズは、石川柊太と楽天の茂木栄五郎を獲得調査しているようです。

FA選手の獲得となれば久しぶりですから、楽しみですね。

どうなるかわかりませんが、動向を見守りたいと思います。

壁を破った時の感覚

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気がつくと成長している。

そんな実感がある。

そういう時には嬉しさが込み上げてくる。

これが「生きている実感」なのかもしれない。

 

ギリギリのところで挑戦している人ほど成長が早い。

自らの限界を見極めながらリスクをとってギリギリを攻める。

そういうところを攻めていかないと、なかなか成長を実感することはできないのだ。

 

失敗して潰れてしまうとリカバリに時間がかかる。

それでもリスクを取るだけの価値はあるのかもしれない。

要は、その人が人生に何を求めているかだ。

 

安定を求めているのであれば、無理してリスクを取る必要はないだろう。

しかし、私のように「成長を続けたい」と思っているのであれば、無理をすることが必要な場面がある。

私の周りの人を見ていても、40、50才を過ぎても成長を続けている人は多い。

そういう環境に身を置いて、なんとか食らいつきながら私は前に進んでいるのだ。

 

ここ最近も、一つ壁を破った感覚がある。

人前で発言することに対して物おじしなくなった。

ある意味では、割り切ることができるようになっただけなのかもしれないが、経験を積み重ねてきたことによる効果であることは間違いない。

 

3000時間の法則ではないけれども、一つのことを続けていく中での特異点のようなものはあると感じる。

ある瞬間を境に、見えなかったものが見えてくる。できなかったことができるようになる。

そういう経験を私は何度もしてきた。

 

その度に冒頭のとおり、嬉しさが込み上げてくるのだ。もしかしたら、その高揚感は私に依存症状を引き起こしているのかもしれない。

だから私は限界ギリギリを攻めて無理をする。

そういうことなのだ。

 

折り合いをつけながら着実に積み上げていく。

その繰り返しで私はここまで来た。

まだまだ見えていないものはたくさんある。

あとは私が生きている間に、どこまで辿り着くことができるかだ。

 

この気持ちがトーンダウンしてしまう前に、もう少し登り続けていたい。

郷愁的な思い

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「懐かしさ」はあまりない。

久々に向かう思い出の場所。

辿り着いてから、あまりにも変化の大きいことに気がつく。

もはや、当時の面影などないに等しいほどだ。

「現地に辿り着けば懐かしさを享受できるかもしれない」という淡い期待は打ち砕かれる。

 

どこもかしこも再開発。

簡単に思い出の場所は消えていくのだ。

 

それも仕方のないことなのかもしれない。

もはや、所有者の代が変わってもおかしくはないほどの時を重ねているのだ。

余分な土地は手放してお金に変えるという考えに至ってもおかしくはない。

 

パーソナリティの肥大化した時代だ。

「代々受け継いでいく」みたいな意識は、もはや古臭くなってしまったのかもしれない。

 

帰属意識」みたいなものも根付かない。

同調圧力」という言葉が生まれた背景を考えると、それに良い思いをしない人が多いということなのだろう。

 

何かに縛られることなく、自分らしく生きることが何よりも大事だと考えられる時代。

その先に広がった多様性をそれぞれが受け入れることを求められる時代。

 

パーソナリティはどんどん肥大化していく。

もはや、この流れを変えることはできないのかもしれない。

そういう時代だからこそ、雰囲気に流されて行動を決めてしまう。

あたかも自分の意思で決めたように思わせて、メディアは風を作るのだ。

 

自分の意思で選択しているようで、実は誰かの意思に従っている。

振り返ってみて、そういうことはないだろうか。

 

「正解」ばかりを重視する。

人は「自由な生き方」を求めてなどいない。

「自分の選択が正解であったこと」を求めているのだ。

そして「正解」は多数決で決まる。

 

私たちは、なにを目指して生きているのだろう。

一度立ち止まって考えてみた方が良いのかもしれない。

このままでは「懐かしい」という感情は、人間の意識から淘汰されてしまうのかもしれない。

見えているもの、見えていないもの

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兆候は必ずある。

どんなに巧妙に隠していたとしても、人に大きな変化が生じる裏には、必ず目に見える兆候があるのだ。

それに周りが気がつくのか、それとも気がつくことができないのか。

それだけのことである。

 

頑張って働いていた人が突然、手に持っていた風船を離したように、フワッとフェードアウトしてしまった。

職場に体は出しているが、どうも気持ちが上の空なのだ。やる気が感じられない。

昨年くらいは、あれだけ気持ちを傾けていたのに、まるで別人のように変わってしまった。

 

人生、山あり谷あり。

考え方が変わってしまうこともあるだろう。

しかし、体は変わらずそこにいるのに、気持ちがそこにいない状態というのは、何とも気持ちが悪いものだ。

 

必要最低限のレスポンスしかない。

コミュニケーションコストが高いから、仕事に影響がないとは言い難い。

精神的、肉体的に疾患があるわけではないようだ。ただやる気がなくなってしまったのだろうか。

 

離れていくのか。それともこのまま居続けるのか。それすらもわからない。

上の人が直接話す機会を設けているようだが、肝心なところの回答ははぐらかされるようで、本人の意思を確認することはできないようだ。

 

とりあえず表向きは問題なく振る舞っている。

周りも異変に気がついているから気を遣いながら、最低限は支障がないように接している。

そんな状態がしばらく続いている。

 

見えているもの、見えていないもの。

 

人の心は瞬間瞬間で目まぐるしく移り変わっている。

しかし、周りからそれを見ることはできない。もしかしたら本人にもわからないのかもしれない。

 

それを些細なニュアンスで予測して汲み取りながら人間関係を形成する。

そんな曖昧な状態で折り合いをつけて、社会を形成しているのだ。

どこかで歪みが生じるのは仕方がない。

 

むしろ、その歪みに対しても忖度をしながら歩調を合わせようと努力するのが「多様性の時代」だ。

そんな風潮が強く蔓延っている。

今の時代は、人に優しくしようと謳いながらも、ある意味では人の可能性を潰しているのかもしれない。

 

なぁなぁで付き合いを続けていたら、何らかの苦しみを抱えている人からすれば生殺しだ。

前に進むにしても、後退するにしても、早いうちに本人が判断をできるような働きかけが必要ではないだろうか。

 

面倒ごとに首を突っ込んで、コンプライアンス敵に問題のある行動をしてしまうと、自分に被害が及ぶから、誰も突っ込んだ関係を築こうとはしない。

そういう「分断」の時代に進んでいる。

本来、人をつなぐべき社会に、人が分断されているのだ。

果たして、私たちの在り方は正しいのだろうか。

そこに対する思考を停止してしまったら、もはや人の存在価値など社会に飲み込まれてしまうのかもしれない。

私たちは、考え続けなければならないのだ。