「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

2300日連続更新

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昨日の投稿をもって、2300日連続更新となりました。

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もはや、節目と言える数字かどうかもわかりませんが、いつものように節目の記事を書きます。

 

まずは、いつものようにこの100日間を振り返っていきます。

 

100日前は、8月10日あたり、

お盆休みの頃ですね。

この頃はまだ娘が生まれたばかりだったので、あまり記憶がありません。

まだ家が落ち着かず、てんやわんやしていたことだけ微かに覚えています。

 

しかし、お盆が明けてからいまに至るまでは、とんでもなく忙しかったことをよく覚えています。

慣れない育児に四苦八苦しながらも、仕事もプライベートもとんでもなく忙しい日々が続きました。

心なしか、少しのことでは動揺しないくらいに成長できたような気がします。

 

100日間の変化

・娘が寝返りをするようになった

・寝不足を感じるようになった

・腕と腰が痛くなった

・育休を取った

・家の中が娘のものばかりになった

 

もはや、私の生活は私の意思で動いていないのですよね。夫婦揃って娘の要求に右往左往しながら生活をしています。

生活の中心が根本的に変わるわけですから、その中で見えてくるものもあります。

 

今までは自分のために投資してきた時間が、どれだけ貴重なものだったのかに気がつくことができました。

使える時間は限られているので、それを如何に有意義に使うのか、それを意識するようになりました。

 

来年からは妻が仕事に復帰する予定です。

そうなると、ますます私の時間も限られることになるでしょう。

何が大切で、何に時間を使うべきなのか。

今はそれを勉強させていただくための期間なのかもしれませんね。

 

気がつくと今年もあと1ヶ月あまりとなりました。ついこの間に年が明けたと思ったら、あれよあれよと年末を迎えています。

生活が変わっても、体感する時の長さはあまり変わらないのかもしれませんね。

 

さぁ、今年の締めくくり。

引き続き忙しい予定の来年に向けて、しっかりと準備を進めていきたいです。

映画『ルックバック』

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この作品は、過去に漫画版を一度記事にしたことがある。

tureture30.hatenadiary.jp

 

本年映画化されて話題になった作品。

ずっと気になっていたが、なんと早くにAmazonプライムで視聴できるということだったので、早速視聴した。

改めて映画で見てタイトル「ルックバック」の意味を噛み締めた。

 

「背中を見て(ルックバック)」

 

改めて映像で確認して、漫画だけでは気が付かなかった部分に気がつく。

作品の中には、そのメッセージが幾重にも織り込まれているのだ。

 

〜あらすじ〜

小学校の学級新聞に掲載する4コマ漫画をきっかけに友情を結んだ2人の少女、藤野と京本。

一つの漫画を作り上げるという挑戦から絆を深めるが、高校卒業のタイミングで分岐点を迎える。

それぞれの道を進む二人の間を切り裂くような事件が起こる。

「もしもあの時、自分が誘っていなかったら」

「もしも」の世界と現実世界が繋がった先で奇跡が起こる。

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藤野の背中を見て、一歩を踏み出した京本。

そして「背中を見て」という4コマ漫画をきっかけに、京本の背中に書いた自分のサインを見て、再び一歩を踏み出す藤野。

ラストのシーンに込められたメッセージ。

 

原作者の藤本タツキ氏はつくづく天才だと思う。

そして、その原作の意図を忠実に映像化したスタッフにも脱帽だ。

短い作品ながらも、素晴らしい出来栄えに仕上がっている。

 

絶望した状況に追い込まれて、状況は変わらないけれども、自身の心が変わることで、そこに救いが生み出される。

そこに産まれたカタルシスを見事に操って、読者の心にスッと心地よい風を送り込んでくれる。

そんな著者のメッセージを忠実に映像化していた。

 

人生なんて、いつ、どうなるかわからない。

それでも人は前に進むのだ。

手に入れられるかわからないものを追い求めて、仮に求めていたものが手に入らなかったとしても、別の何かを手にして満足する。

 

それは決して妥協なんて安易なものではない。

どのような未来が待ち受けていたとしても、自分で選んだ選択肢の先にある人生に、私たちは責任を取り続けなければならない。

 

「もしも、あの時に別の選択をしていたら」

 

そう思うことは山ほどあるだろう。

それは、今だからそう振り返ることができるだけで、当時の自分は今の選択肢しか選ぶことができなかったのだ。

幾つもパラレルワールドが広がっているというのは、錯覚に過ぎない。

 

「もしも」はいつまで経っても「もしも」のまま。

それをのちの人生に活かすことはできたとしても、それ自体が変わることなど決してないのだから。

Creepy Nuts『オトノケ』

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曲以上にぶっ飛んだMVだ。

主題歌を務めるアニメ『ダンダダン』の世界観を余すことなく伝えているのだろうか。

 

アニメの方は私もみている。

カオスな世界観がテンポよく続いていく。

意味を理解しようとすると意味がわからないが、そのテンポには心地よさがある。

 

疾走感。

まさにその言葉が似合うような作品だ。

最近の漫画には勢いがある。

それがどんどん映像化されていく。

話題のアーティストが主題歌を歌う。

 

そうやって、ジャパニーズカルチャーが形成されていくのだろう。

戦略としては、とても良い方向に進んでいると思う。

 

 

Creepy Nuts『オトノケ』

街の雰囲気が変わっていく

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私の住んでいる地域で再開発を行なっている。

街の雰囲気がどんどん変わっていく。

古めかしい建物は取り壊されて、スタイリッシュな建物に変わっていく。

どこも似たような方向性なのだろう。

個性も何もあったものではない。

 

「懐かしさ」と「新しさ」

それを同居させるまちづくりは難しいのだろうか。

人類にとっての原点回帰。

自然を残した街づくりを目指して久しい。

その方向性は間違えてはいないのだろうけれど、そこに「懐かしさ」を感じることはできない。

自然が主役にはどうしてもできないから、ビルの装飾品として木々が植えられているに過ぎない。

 

人口が一ヶ所に集まるものだから、コンパクトシティ化が進んでいる。都市部の開発は進んでいるが、少しそこを離れると畑が広がっている。

そんな地方都市が増えているようだ。

人は文明を手に入れたことで、利便性を手放すことができなくなった。

その結果として、原風景とでもいうべき場所から離れて生活をすることになる。

 

その結果、魂は枯れてしまいやしないのだろうか。

同じような場所で、同じように生活する。

そうやってほぼ全ての人類が一様に生活をするようになったならば、それが人類の新たな原風景となるのだろうか。

 

今は過渡期なのかもしれない。

時代が加速度を増して変化を続けている、

ちょうどその過渡期なのだ。

もうしばらくしたら、こんなことを考える人すらいなくなるのかもしれない。

 

効率化を追い求めて、それが絶対的な正義となる時代へ。

私たちの文明は進み続けているのだ。

三つ子の魂百まで

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前にも同じタイトルで記事を書いたことがある気がする。

最近これを感じるエピソードがあった。

20年ぶりにあった友人たち、その性格と関係性はほぼ変わっていなかった。

まるで、むかしのまま会い続けていたように、変わらずに楽しく酒を酌み交わすことができた。

 

20年もあれば様々な人生経験してきたはずだ。

しかし、いざ久しぶりに会ってみると、その関係性はほとんど変わっていない。

不思議に感じると同時に、懐かしさに安心する。

 

人の本質は、そうそう変わらないのだ。

もしかしたら幼少期にすでに人格形成の多くは成されてしまうのかもしれない。

そう考えると育児は非常に重要である。

 

学校という社会の中で、上手いことやっていけるだけの自己肯定感がないと、自力でそこから先に進んでいくことができなくなってしまう。

子供は親の手をどんどん離れていく。

だからこそ、その手の中にいるうちは「自分が世界にいても良い」ということを嫌になる程、味合わせてやらなければならないのだ。

それが最も重要な親の役目なのかもしれない。

 

うちの子はまだ言葉を発することもできない赤子だけれども、それでも意思表示をすることが増えてきた。

その意思を尊重しながら、自分がどう生きていきたいのかを自分で選び取れるようにしてあげたい。

 

長い人生だけれども、その土台は案外生まれてからままないところで決まってしまう。

何とも恐ろしいことだけれども一理あるかもしれないと、そう感じた。

年末の空気になってきた

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11月にしては異常なほど暑い日。

しかし、着々と年末に向かっていると感じる。

 

気がつくと11月も半分が終わってしまった。

ここから先は、あっという間にときが過ぎていくのだろう。

 

「今年は忙しくなる」

そう思って始まった年明け。

想像していた以上に忙しい一年だった。

その締めくくりまで忙しさが続く見込み。

今年はそういう年なのだろう。

 

そして、仕事では今年の課題が来年に先送りになりそうだ。

来年も引き続き忙しいことが確定した。

あまりにも人手が足りずに、対応時期を後ろ倒ししたくらいだ。

新入社員をアサインするという話があるが、どこまでフォローが必要なのかと考えると、中々現実的ではない。

 

来年も思いやられる。

家庭でも、妻が職場復帰をして子供を保育園に通わせることになる。

生活が大きく変わる。今は妻にお任せできている家事を私も引き継がなければならないことになるだろう。

 

来年も忙しそうだ。

年末から来年のことばかりを考えている。

今はそういう時期なのだ。

 

ブログが途切れそう

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ここ最近、危機感を感じている。

朝のタイミングで忙しく記事を投稿できないと、そのままブログのことを忘れてしまうことが増えた。

意識さえしていれば、空いた時にブログを更新できるだけの時間はあるけれど、すっぽりと意識から抜け落ちてしまうのだ。

 

結局、ブログが途切れるタイミングは些細なこと。そして、些細なことで連続更新が途切れると、一気に更新頻度が下がりそうだ。

 

ここしばらく、朝の時間が落ち着かない。

子供の起床時間にばらつきが生じてきた。

朝の対応に追われて、そのまま仕事に行くことも増えた。

 

規則正しく寝て起きていてくれたこれまでが恵まれていたのだろう。

子供に合わせて生活すると、ルーティンを変えなければならなくなるのだ。

 

私はどちらかと言えば、規則正しく生活をしている方だと思う。だからそれを変えなければならないことは大きなストレスとなる。

その生活にも適応していかなければならないのだ。

 

これから先は、今とは比べ物にならないくらい子供に手がかかることになるだろう。

私の生活はどうなっていくのだろうか。

徐々に変わっていく。

自分のルーティンを確保することがこれほど難しいことだとは思わなかった。