
今は喉が痛くて声が出ない。
耳にこもる感じがあり違和感を覚える。
動けないほどではないが気力が湧いてこない。
そんな状況だ。
私の体調がすぐれなくても子供は容赦なく襲いかかってくる。
朝は叩き起こされて、そこからずっと目が離せない。
歩き始めたものだから行動範囲が広がり何をするかわからない。
そしてイヤイヤが始まった。
少しでも気に入らないことがあるとイヤイヤ泣いて喚き散らして手がつけられない。
食べ物の好みもうるさくなってきた。
口に入れたものが気に入らないと吐き出す。
そして親はその始末に追われるのだ。
想像していた10倍は過酷。
子供が生まれる前に私が想像していた子育ての大変さ。
そんなものは絵に描いた餅だったのだ。
現実はそんなに甘くはない。
毎日子供に振り回されながら、日々のタスクは変わりなくこなす必要がある。
それどころか、妻が仕事に復帰をしてからは私の家事負担は増えるばかりだ。
今では料理全般を担当するようになった。
お盆は少しゆっくりできた分、それが終わってからの反動で過酷な生活に体がついていかない。
そして謎の体調不良が続いている。
反面、子供はどんどん無邪気にすくすくと成長している。
親の苦労を養分にして成長していくのだ。
そして、私も子供の頃は同じようにして成長してきたのだろう。
『鬼滅の刃』の映画の中で、主人公の竈門炭治郎が敵である鬼の猗窩座に対して述べた言葉を痛感する。
「強いものが弱いものを守る。そして弱いものは強いものに守られて力をつけていき、やがて強くなったら弱いものを守る。その繰り返しが自然の摂理だ」
先日の記事では映画を見て心に残るものがなかったと書いたが、そんなことはない。
ちゃんと良作にはメッセージが込められているのだ。
子育てはまさにこのセリフを痛感するものだ。
あわよくば、先の未来には、私が衰えて弱くなった時に、子供が私を守ってくれるのかもしれないのだから。
体調を崩している今の苦労は、未来につながる苦労だ。
そうして人は未来に自分の存在を繋いでいく。
鬼と違って短い寿命しか持ち合わせていなかったとしても、自分の存在を別のものに乗せて先の未来まで生きていくのだ。
自然の摂理とはよく言ったものだ。





