検査をしても異常は見つからない。
自分に起きている症状はなんなのか。
それを特定することで安心しようとする。
でもそんなものは医者のさじ加減、
この傾向が強いからあなたはこれ、
これよりもこっちに近くなってきたからやっぱりこれ、
人によって感覚は違うし、
自分の感じ方も時によって変わるもの、
何よりあなたの苦しみはあなたにしかわからない。
大事なことは自分の中で対処法を見出すこと、
こういう時はこれをしちゃいけないとか、
この時期は体調を崩しやすいから気をつけるだとか、
ここまでだったら頑張れるかなだとか、
ここまでできたから自分を認めてあげようだとか、
100人いれば100通りの症状がある。
それを自分病と受け入れて、
一生付き合う覚悟で向き合った時、
状況は徐々に好転する。
「自分がどう見られるのか」
それにばかりこだわりすぎるから、
心が蝕まれてしまう。
「自分とは何者なのか」
結局はその問いに向き合うしかない。
その答えがある程度出るまでは、
自分の方が病気にしがみついているのかもしれない。
やるべきことがわからないから、
やりたいことがわからないから、
だから苦しむことで生きていることを実感する。
心が明後日の方向に行ってしまった時に、
それを正しく導くための防衛反応、
それを乗り越えた先に見える景色は、
きっと自分の居場所と胸を張って言える世界、
それは、自分がいるようでいなかった世界など、
忘れてしまうほどに居心地が良いはず、
これも100人いれば100通りの見解があるだろう。
いい加減なことは言えないが、
私はそう思う。