よしもとばななさんの長編作、
友人に勧められて読了、
過去の自分を思い出せなくなるような経験、
主人公の朔美は頭を打って、
世界の見え方が変わってしまった。
そんなニュートラルな視点から捉える日常やら非日常、
示唆に富んだ表現が多く、
染み渡るような文章の美しさを感じた。
どんなにおかしな家庭環境の中でも、
家族がそれぞれの役割を担うならば、
日常は日常として形作られていく。
「私」が「私」でいさえすれば、
不幸であるはずがない。
「私」を直視することは苦しいけれども、
時間をかけてあるべきところに嵌っていく。
人は器のようなもの、
生きていれば、
悪意も善意も受け取って、
器の中を満たしていく。
それを自らがブレンドして、
「私」を形作っていく。
孤独と向き合うよりも、
孤独に寄り添うこと、
ギャラリーに必要以上に存在価値を委ねないこと、
登場人物はどんなに特殊に生きていても、
自分らしく生き続けて「私」を探し当てる。
誰しもがあるべき姿で、あるべき日常に溶け込んで、
ひだまりの中を歩くように穏やかに生きていける。
作者自身がものすごく思い悩んだ時期に書いたものらしい。
数年後にもう一度読むかもしれない。
そう思った数少ない作品、
「日常」を見失わないことが生きる糧であり力、
苦しさも楽しさも一瞬の出来事のように包み込んで、
日常はどこまでも続いていく。
日常に寄りかかるか、
それをただ煩わしく思うか。
日常から幸せのかけらを拾い集める力、
それを待つだけでだいぶ生きやすくなる気がする。