不誠実さに相対したとき、
選ぶべき選択肢は2つ、
「許す」か「見捨てる」か。
救いようがなければ「見捨てる」しかない。
もともとどうでもいい相手ならば関わらなければ良いだけ、
「許す」を選択する場合、
笑って許せる器の大きさを持ち合わせていれば問題はない。
そうでない場合は、
相手の惨めさや哀れさ、
そういったものを目の当たりにしたとき、
はじめて許せるのかもしれない。
「あんなことをしたくせに、
幸せそうにしやがって」
自分を踏み台にして掴み取った幸せを、
それを目の当たりにしながら、
「許す」ことは難しいもの、
誠意を見せるというけれど、
それは自分を相手の下に置くこと、
リスクを取らないで、
プライドを捨てないで、
許してもらおうなんて虫が良すぎる。
認めたくはないけれど、
報いを願っている。
その報いによって自分が正しいと証明したがる。
相手の不幸を願ってしまう。
自分を上に置いて、
そんなに苦しいならば仕方がない。
許してやるかと、
ただ気をつけなくてはならない。
「許せない」ことで、
自分が不幸になってしまったら、
相手の思うツボ、
いつまでも「許す」ことにこだわるならば、
早く見捨てた方がまだマシ、
「許す」も「見捨てる」もできないことが最悪、
相手のために「許す」のではない。
自分が美しく生きるために、
そのために醜い過去を手放してあげる。
人の悪意に触れても、
それを糧にして、
美しく生きられる人は素敵な人、