全くもってそのとおりだと思う。
日の丸を背負い世界と戦う若きアスリートだけに、
センセーショナルな報道のされ方、
「なんで私が」
そういう気持ちは簡単には拭えないもの、
私もそうだったが、
病気というものに前触れもなく理不尽に手足を縛られる。
その現実と向き合うだけでも重労働、
徐々に実感して、徐々に重みが増す。
「こんなはずじゃなかったのに」
その言葉と格闘する毎日、
心のうちはわからないが、
早くも彼女は「神様は乗り越えられない試練を与えない」
と前向きな発言、
焦らずにじっくりと向き合って着実に歩んで欲しい。
「ガッカリ」と発言した大臣が叩かれている。
言葉にすること自体が不適切極まりないが、
そういう気持ちが全くないといえば嘘になる。
大坂なおみさんの国籍問題もそうだが、
「自分と相手との関係性」
やはりそれが人を見る目を大きく左右する。
頑張っている姿に感動したから、
競技の経験があり、その大変さを知っているから、
夢と感動を与えてくれたから、
応援するきっかけはたくさんあるだろう。
おそらくそれが、
「自分と相手との関係性」
だけれども家族からしたら、
「大事な家族」以外の何物でもない。
「水泳なんてどうでもいい」
全くもってそのとおり、
大事な家族が幸せに長生きしてくれるならば、
元気でさえいてくれれば、
大抵のことはどうでもいい。
人より飛び抜けてできることがあると、
誰かの期待に応えようと思って生きてしまうのだろうけれども、
それができるのは足元が固まっているから、
まずは足元を固めるために、
元気で幸せになることに注力して、
余裕があれば誰かの期待に応えればいい。
「水泳なんてどうでもいい」
「東京オリンピックに出られなくてもいい」
「幸せでいてくれればそれでいい」
とはいえ、
ここまで全てをかけて挑んできた水泳、
その舞台にまた戻って来られるならば、
全力で応援する。