哀れみの言葉だから、
自分よりも恵まれている相手に対して、
「かわいそう」は使わない。
「病気でかわいそう」
「相手がいなくてかわいそう」
「いじめられていてかわいそう」
たとえ無自覚であっても、
自然とその言葉が立ち位置を決めてしまう。
「かわいそう」に責任が持てるならば、
言葉の前にそれを解消できるように支えてあげれば良い。
そうでなければ、
「かわいそう」は、
自分が人と比べて恵まれているって、
安心するための道具に過ぎない。
無責任な「かわいそう」
それは「通り魔」のように人を傷つける。
存在を否定するかのように、
深く深く人を傷つける。
残念ながら「通り魔」の刃を避けることは難しい。
常に警戒し続けるか、
切りつけられてもビクともしないように強くなるか。
前者は心をすり減らしてしまうのでオススメしない。
ならば、簡単なことではないけれども、
時間をかけて後者に進むしかない。
見るからに強そうになれば、
「通り魔」から狙われることもなくなるだろう。
無自覚な悪意なんて犬も食わないものに、
素直に傷ついてやる価値はない。