ものが溢れかえっている。
情報が溢れかえっている。
取捨選択の機会が溢れかえっている。
何もかもが溢れかえっているから疲れるのだ。
とりあえず使えそうだから買ってみる。
とりあえず良さそうだからはじめてみる。
とりあえず予算が余っているから道路でも作ってみる。
人は「利便性」の代償として、
「忍耐力」を失う。
施設に入れば何でもやってくれるから、
お金を払っているんだから、
家族は会いに来てくれないし、
そうして生まれる「キレる高齢者」
子供は宝だから、
大事に育てないといけないから、
良い環境を与えて、社会保障を手厚くして、
「どうか子供を生んでください」
そうして生まれる「キレる若者」
暴走した競争社会、
もはや速度を緩めることは許されない。
だから社会から離脱して、
自分の時間を取り戻そうとする人が増えている。
でも、
それをしたところで、
一線で活躍する人に引け目を感じて、比べて、
自分をとぼしめて、
それでは本末転倒、
心を偽ってはいけない。
そして揺るがないくらいには強く育ててあげなければいけない。
その作業を続ける中で、
そこから生まれる何かを突き詰めることができるならば、
それはきっと幸せに通じるはず、
研修制度やら自己啓発やら読書やら、
そんなものに傾倒したところで、
自分で自分を育ててあげないと、
育った価値観は誰かの模倣品に過ぎない。
称賛が欲しいだけならばそれでいい。
けれども、
消えてはくれない虚しさを解消したいならば、
きっとそれだけでは足りないのだ。
ものに囲まれているから、
情報に囲まれているから、
その中から選ぶことばかりに固執してしまう。
巧妙な罠、
「選ばない」って選択肢だってある。
本当の答えは、
そのどこにもなくて、
自分の中にしかないのかもしれない。
なるほど、
いくら努力をしたところで、
虚しさが消えてくれないわけだ。