「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

やらないってことは本気でそうしたいと思ってはいない

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少し昔に友人から言われたこと、


一緒に海外旅行に行く約束をしていたのに、

「お金が貯まらないから無理だ」と断られた口実に、


「行きたいならば一人で行けばいいじゃん。

それで行かないってことは本気で行きたくはなかったってことだよ」


言い訳にすらなっていない。

なんともひどい言い分だが、なんだか印象に残っている。


結局、無難に台湾を選択して、

一人で行ってきた。


振り返れば、

これを言われなかったら行かなかったかもしれない。

 

 

今、婚活について同じことを考える。


しばらくは色々と動いて、

紹介してもらったり、

出会いの場に招待されたりしたけれど、

最近はそれも落ち着いて、

自分の不誠実さを痛感するだけの儀式で終わったという感想、


いっそのことアプリのほうがいいかもと、

登録してみたけれど、

条件だけで選んで選ばれる感覚が合わなくて、

結局は前に好きだった人を忘れられていないことを思い知らされて、


それでも伴侶のいる人生を諦めることはできなくて、

「2月は何かが起こりそう」だとか、

不確かな「予感」のようなものに翻弄されて、

本質的に何も進まないまま時ばかりが過ぎていく。


「行動しないってことは本気で結婚したくないってことだよ」


友人の声が聞こえてくるようだ。


実際そうなのかもしれない。


「結婚」という目的を前提に、

出会いを求めることが性に合わないのだろう。

それでは相手は「結婚」のための道具になってしまう。


「結婚したい病にだけはかかりたくない。

人を道具のように条件ばかりで見てしまうから、」


以前どこかで書いた、私から生まれた言葉、

そんな尊大な理想が足かせになっていることはわかっている。


だけれども、

そういう生き方をしてきたから、

簡単に抜け出すことはできないのだ。


子供がいて、

健康で体力があるうちに子育てをして、

ライフステージの変化に富んだこの時期を、

2人で力を合わせて乗り越えていく。


それはとても魅力的なこと、


現実は甘くないのだろうけれども、

手に入れていない側から見ればとても魅力的、

 

それを手に入れるために必死になる価値のあることなのだろう。

だからみんな必死になる。


だけれども、

そこに必死になる生き方が私には向いていない。


子供は欲しいし、

若いうちに子育てしたいし、

早く結婚したい。


でも必死にはなりたくはない。


そこはトレードオフ

駄々をこねても仕方がないのだ。


若くて可愛くて性格がいい、

こんなめんどくさい私を受け入れてくれて、

生活力があって、家事ができて、

おまけに胸が大きい。


高嶺に咲く一輪の花を差し出して、

しおらしく「私と結婚してください」なんてアプローチしてくれる、

そんな都合の良い女性はまず現れない。

現れたならばまず間違いなく詐欺の類だろう。


いつも取捨選択を迫られる。


「人生はその繰り返し」


いい加減に嫌気が差すけれど、

それを自由自在に楽しむことができたならば、

人生の大半の悩みは大したことはないと思えるのだろう。


よく聞くことだけれども、

結婚なんてものは一緒になってからが本番、


ここで課題と向き合わなければ、

これから先も同じようなことで悩み続ける。


「自分はどう生きたいのか」


何を手に入れたくて、

何を手放して、

何に喜びを感じて、

何で苦労して、

どのような人生を歩んで、

どのような最後を迎えたいのか。


漠然とした理想はあるけれども、

一人でいられるうちに、

もう少しだけ突き詰めてみることにしよう。


もちろん、

これから先もずっと一人かもしれないけれども、

 

そうだとしても、

死ぬまで一緒に過ごさなければならない、

「自分」の正体を知ろうとすることに無駄はないはずだから、