みずみずしい将来への希望をいだいた10代まで、
それを形にしようと奮起した20代、
そして大きな決断を迫られる30代、
本田健『30代にしておきたい17のこと』
たまたま書店で目につき手に取った。
それによると30代はダークサイドに落ちやすいみたい。
あまりにも忙しく環境が変わるから、
人生における重要な選択をいくつも迫られるから、
理想と現実のギャップに翻弄されるから、
自分の天井が見えてしまうから、
ある人は、
独立するか、雇われて生きていくか。
結婚するか、一人で生きていくか。
人生の岐路に立つ、
ハタチの頃に思い描いた30代の自分はどこへやら、
その体たらくぶりに目を覆いたくなる、
なんてこともあるだろう。
追い詰められると、
それまで飼いならしていたはずの暴力性が顔を出す。
自分にこんな一面があったのかと驚くほどに、
それは少し実感している。
社会で生きる術を身につける代償として、
人は「毒」を貯め込む。
それは身を守るための武器にもなるけれど、
知らないうちに自分のことをも蝕む。
ダークサイドに落ちてしまうと、
それが一気に噴出する。
そうなってしまったらコントロールすることは容易ではない。
いつも毒を撒き散らしているから、
周りを傷つけて、徐々に人が離れていって、
終いには取り返しのつかないことになっている。
飼いならしているうちはいい。
溜め込んでいる「毒」が多いほど、
大抵は「仕事ができる」ように見えるから、
だけれども、
目の前にいるこの人は、
電話口のこの人は、
画面の先のこの人は、
「生身の人間」であることを忘れてはならない。
自分と同じように、
脆く弱い生身の人間、
おそらくそれを忘れないことが、
「毒」を中和する唯一の方法、
「社会」の持つ魔力にのめり込んでいく。
体力は低下して健康管理が必要になる。
親も健康ではなくなってくる。
子供に人生の大半を費やすようになる。
どんどん自由が奪われて、
責任ばかり積み重なって、
逃げ場がなくなってしまう。
「毒」を無くすことはできないけれども、
少しでも軽減してあげないと、
気がつかないうちに、
人として大事な機能が麻痺してしまう。
歳を重ねるごとに、
方法を知っていても、
中和できなくなってしまう。
「30過ぎて何やっているんだか」
つい自嘲気味に口をついて出る言葉、
何をやったっていい。
まだまだあきらめたくないのだ。
「社会」でもがいて、
「毒」を飼いならすために中和しながら、
「幸せ」の定義を形作り、
それに向けての一歩一歩を確かめるように、
かつ大胆に踏み出す。
近づく実感があれば、
徐々に歩幅は狭まっていくはず、
それが30代なのかもしれない。
「助けて、オビ=ワン・ケノービ」
そうならないように「フォースと共にあらんことを」