「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

椅子取りゲーム

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誰かと結ばれたいと願えば、

同じ人を好きになった誰かの不幸を願うことになる。


相対評価の成績表、

決まった採用枠、合格数、仕事の受注もそう。

自分が評価されることで他の誰かは評価されない。


いつだって、

いつの間にか、

いや自分からか、

気がつくと椅子取りゲームに参加している。


そうなると理屈は簡単、


「今ある幸せは、

誰かの不幸の上に成り立っているのかもしれない」


価格を安くするために下げられる賃金、

お客様という神様のために心をすり減らす従業員、

あの子のハートを射止めた影にある涙、


そう考えると何事も素直には喜べないな。


「共感」の幅を広げるほど、

高い人間性を認められるけれど、

それとは裏腹にどんどん不自由になってしまう。


周りの幸不幸にばかり敏感になって、

自分のそれを後回しにしてしまう。


そうなってしまったら本末転倒、

何も聖人を目指しているわけではないはず、


「どうしたら幸せになれるのか」


そのためには人と心を通わせることが近道、

だから「共感」するのだ。


あまりにも共感の幅を広げすぎると、

それが自尊心へと変化して、

手に負えなくなってしまう。


「人の役に立つことが自分の存在価値なんだ」


断じてそうではない。

周りに自分の存在価値を委ねてはいけない。

例え、それがどんなに優れたものだとしても、


あなたが何をして、

何を感じて、

どう変わったのか。

あなたにとってそれ以上に価値のあるものはない。


人の不幸を食い物にしようとすることは、

間違ったこと、


だけれども、

人の幸せのために自分を不幸にすることも間違ったこと、


誰かを傷つけることに、

鈍感になってはいけないけれど、

必要以上に敏感だと辛いことばかり、

 

誰かのために行動していても、

心が満たされないならば、

一度立ち止まって考えてみなければならないのかもしれない。


責任は果たすべきもの、

だけどそれ以上のことは相手の自己責任なのだから、


「あなたがいなければ生きていけないの」


そこから始まった関係に、

輝かしい未来が待っているとは思えない。


強かに、

かつ誠実に、

歩みを進めたい。

 

人のことはいい。

自分の幸せのために、