あいつの成果は俺のもの、
俺のミスはあいつのせい、
自分の価値を信じられないからそうなる。
これをしたら誰かに認めてもらえる。
この成果で自分の立場が上がる。
そればかりが先行してしまうと、
気がついたときには周りには誰もいない。
うまく立ち回って、
誰かの評価で身を飾ることしか考えていないと、
社会的には偉くなっても、
人としての信用は地に落ちる。
そういうやり方に慣れてしまうと、
それが楽で手っ取り早いから、
そういうやり方しかできなくなってしまう。
楽をしたら楽をした分だけ、
あとでしわ寄せが来る。
地道に努力を重ねていかないと、
自分で自分を鍛えてあげないと、
満たされることはないのだろう。
たまたま舞い込んできた幸せを掴んでも、
努力してこなかったならば、
それを維持することは簡単ではない。
心をニュートラルにいれて、
ギアをオンにもオフにもできるようにしておいて、
先入観なく正視眼でありたい。
周りに流されない。
あくまでも自立した正視眼、
それでいてニュートラル、
自由自在に行動を選択できる。
自分で自分を縛り付けて、
憂いている自分に酔って、
動けないことに快楽を求めて、
これではただのドMじゃないか。
もっとサディスティックに生きよう。
責めるのだ。攻めるのだ。迫るのだ。
そのほうが性に合っているはず、
「自分で自分を褒めたい」
有森裕子さんの言葉、
そこまでの域に達するには、
どれだけの努力を積み重ねればよいのだろう。
自分に、環境に、
まだまだ甘えすぎている。
うまいことやる術に頼りすぎている。
苦労できなくなってしまう前に、
苦労しておかないと、
「ダメな大人」のレールに乗ってしまう。
器ばかり大きく見せたって、
中身が空っぽならば仕方がない。
それを一番わかっているのは、
他でもない自分なのだから、
功名心てやつは、
わかりやすいモチベーターだけれども、
それに頼り過ぎてしまうと、
行き先を見失ってしまう。
行き先だけは、
他の誰でもなく、
自分で決めてあげないといけない。