認知バイアス

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認知バイアス

人には考え方、捉え方の癖がある。


あまりに偏りすぎてしまうと、

物事を歪んで認知してしまう。


それは簡単に修正できるものではないけれど、

それを自覚することはできる。


世界との関わり方を正常に保つために、

自覚することはとても重要なこと、


私は「不誠実」なことが許せない。

それに直面すると相手を軽んじるようになる。

「不誠実」に対しては「不誠実」で返せばいいって、


それと「非合理的」なことを受け入れられない。

それを強いられるときは「意図」を問い反発する。

大抵は意図なんてものはない。

だから相手は居心地が悪くなる。


そんなことをしたって損をするばかり、


自分の傾向を知っていれば、

ふと立ち止まってそれを修正することができるかもしれない。


そうやって居場所を作っていくのだ。

「調和」という言葉を盾に信念を潜めて、

うまいこと居心地の良い場所を作っていくのだ。


その作業は途方のないものかもしれないし、

それを失うのは一瞬かもしれない。


だけれども、

人は居場所がないと生き辛いから、

それが見つかるまでは探し求めて、

見つかったら見つかったで、

今度はそれを守ることに躍起になる。


十人十色と言うように、

世間の目と自分の目、

思っているよりも乖離があるもの、


些細なことで傷つけては傷ついて、

信じては疑って、

好きになっては嫌いになって、


傷つけようだなんて、

誰も思っていないはずなのに、


必要以上に恐れるから、

心を通わせることができない。


無慈悲な擦れ違い。


お互いがお互いを思っていても、

重なり合いたいと願っていても、

些細なことで疑って、

好きな分だけ嫌いになって、

好きだった分だけ憎しみが生まれて、


「人の気持ちも知らないで」

そんな感情に支配されてしまう。


知らないのは自分も同じ、

だから別々の道を歩むのだ。

相手ばかりを責めても仕方がない。


だけれども、

自分を責めたら壊れてしまうほどに弱っている。

だから誰かを責めるしかないのだ。


傷を癒やすためには時間が必要、

傷口の深さは見た目からはわからない。

その判断基準は「痛み」だけ、


「痛み」と正しく向き合うためには、

思考の偏りを自覚してあげないといけない。


そうしないと、

傷の上に傷を作って、

治療を長引かせるだけ、


どこかで治さないといけない。

どこにも行けなくなってしまう前に、