人には考え方、捉え方の癖がある。
あまりに偏りすぎてしまうと、
物事を歪んで認知してしまう。
それは簡単に修正できるものではないけれど、
それを自覚することはできる。
世界との関わり方を正常に保つために、
自覚することはとても重要なこと、
私は「不誠実」なことが許せない。
それに直面すると相手を軽んじるようになる。
「不誠実」に対しては「不誠実」で返せばいいって、
それと「非合理的」なことを受け入れられない。
それを強いられるときは「意図」を問い反発する。
大抵は意図なんてものはない。
だから相手は居心地が悪くなる。
そんなことをしたって損をするばかり、
自分の傾向を知っていれば、
ふと立ち止まってそれを修正することができるかもしれない。
そうやって居場所を作っていくのだ。
「調和」という言葉を盾に信念を潜めて、
うまいこと居心地の良い場所を作っていくのだ。
その作業は途方のないものかもしれないし、
それを失うのは一瞬かもしれない。
だけれども、
人は居場所がないと生き辛いから、
それが見つかるまでは探し求めて、
見つかったら見つかったで、
今度はそれを守ることに躍起になる。
十人十色と言うように、
世間の目と自分の目、
思っているよりも乖離があるもの、
些細なことで傷つけては傷ついて、
信じては疑って、
好きになっては嫌いになって、
傷つけようだなんて、
誰も思っていないはずなのに、
必要以上に恐れるから、
心を通わせることができない。
無慈悲な擦れ違い。
お互いがお互いを思っていても、
重なり合いたいと願っていても、
些細なことで疑って、
好きな分だけ嫌いになって、
好きだった分だけ憎しみが生まれて、
「人の気持ちも知らないで」
そんな感情に支配されてしまう。
知らないのは自分も同じ、
だから別々の道を歩むのだ。
相手ばかりを責めても仕方がない。
だけれども、
自分を責めたら壊れてしまうほどに弱っている。
だから誰かを責めるしかないのだ。
傷を癒やすためには時間が必要、
傷口の深さは見た目からはわからない。
その判断基準は「痛み」だけ、
「痛み」と正しく向き合うためには、
思考の偏りを自覚してあげないといけない。
そうしないと、
傷の上に傷を作って、
治療を長引かせるだけ、
どこかで治さないといけない。
どこにも行けなくなってしまう前に、