「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

申し訳ないけれども私はあなたとは必要以上に関わりたくありません

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そのような態度で接しているのに、

どうも理解していただけないことがある。


とことん避けられたり、

とことん愛想よくされたり、


0か100、

その振れ幅の大きさに、

ついていくだけで消耗してしまう。


それならば、

気にすることは止めて、

必要以上に関わらないようにした方が良い。

 

 

こうやって何事も体系化して、

それに従って行動することが癖になっている。

そんな自分があまり好きではない。


だけれども、

そうやってシステムを組まないと、

うまく動けないのだ。


「自分のやり方」


そういう名前のシステムを設計して、構築して、

論理的に間違っていないか検証して、

リリース後はトライ&エラーの繰り返し、


そうやって精度を高めて、

ようやくここまで来た。

少しづつ「心」をシステムに追いつかせることができてきた。


とことん不器用なのだ。


ある人からは「自分を持っている」と感心される。

ある人からは「めんどくさい」と敬遠される。


どう思われたとしても、

仕方がない。


「理性」という制御装置が働いて、

システムから外れた行動を軌道修正してしまう。


「人並み外れた理性の持ち主」


読者の方からそう指摘されて、

そのことについて考えてみて、

その根源は「自分のやり方」というシステムなのだと思った。


私の場合は、

いろいろなことがシステム化されすぎているのだ。


それはいろんなことを効率化してくれる、

便利なものではあるけれど、

反面、自由を奪う拘束具にもなる。


拡張性なんて考えていないから、

直面した課題に対してツギハギで対応して、

「恋愛」という分野に関しては手付かずで、

手の届きにくい状態に落ち着いたのだろう。


これまでの生き方が、

「恋愛」を重要視してこなかったから、

それを手に入れたくなったからと言っても、

システムは容易に対応できない。


環境ではなくて、

自分のシステムの問題なのだ。


「あてがわれた相手と何も考えずに一緒になること」

そのようにツギハギで対応することも可能かもしれない。


だけれども、

その手段を講じたとしても

「恋愛」というものを経た関係でないと、

長く続く気はしない。


ツギハギには限界が来ているのだろう。


「恋愛」は複雑怪奇だから、

これから対応するとなると、

プログラムを見直すところは多そうだな。

途方もない作業になるだろう。


「えくぼは恋の落とし穴」


落とし穴に落ちるように一瞬で恋に落ちて、

そこから「自分のやり方」に繋げたほうが手っ取り早いな。


一度だけしたことがある一目惚れというもの、

二十歳のときのこと、


もう一度することはあるのだろうか。