そのような態度で接しているのに、
どうも理解していただけないことがある。
とことん避けられたり、
とことん愛想よくされたり、
0か100、
その振れ幅の大きさに、
ついていくだけで消耗してしまう。
それならば、
気にすることは止めて、
必要以上に関わらないようにした方が良い。
こうやって何事も体系化して、
それに従って行動することが癖になっている。
そんな自分があまり好きではない。
だけれども、
そうやってシステムを組まないと、
うまく動けないのだ。
「自分のやり方」
そういう名前のシステムを設計して、構築して、
論理的に間違っていないか検証して、
リリース後はトライ&エラーの繰り返し、
そうやって精度を高めて、
ようやくここまで来た。
少しづつ「心」をシステムに追いつかせることができてきた。
とことん不器用なのだ。
ある人からは「自分を持っている」と感心される。
ある人からは「めんどくさい」と敬遠される。
どう思われたとしても、
仕方がない。
「理性」という制御装置が働いて、
システムから外れた行動を軌道修正してしまう。
「人並み外れた理性の持ち主」
読者の方からそう指摘されて、
そのことについて考えてみて、
その根源は「自分のやり方」というシステムなのだと思った。
私の場合は、
いろいろなことがシステム化されすぎているのだ。
それはいろんなことを効率化してくれる、
便利なものではあるけれど、
反面、自由を奪う拘束具にもなる。
拡張性なんて考えていないから、
直面した課題に対してツギハギで対応して、
「恋愛」という分野に関しては手付かずで、
手の届きにくい状態に落ち着いたのだろう。
これまでの生き方が、
「恋愛」を重要視してこなかったから、
それを手に入れたくなったからと言っても、
システムは容易に対応できない。
環境ではなくて、
自分のシステムの問題なのだ。
「あてがわれた相手と何も考えずに一緒になること」
そのようにツギハギで対応することも可能かもしれない。
だけれども、
その手段を講じたとしても
「恋愛」というものを経た関係でないと、
長く続く気はしない。
ツギハギには限界が来ているのだろう。
「恋愛」は複雑怪奇だから、
これから対応するとなると、
プログラムを見直すところは多そうだな。
途方もない作業になるだろう。
「えくぼは恋の落とし穴」
落とし穴に落ちるように一瞬で恋に落ちて、
そこから「自分のやり方」に繋げたほうが手っ取り早いな。
一度だけしたことがある一目惚れというもの、
二十歳のときのこと、
もう一度することはあるのだろうか。