とてもいい終わり方だった。
終わり方をみれば今クール一番の出来だと思う。
親の子に対する愛情は何にも勝る正義である。
「私、何か間違ったこと言ってる?」
人は過ちを繰り返すものなので、
その度に反省して誠意を尽くせばいい。
素直に過ちを認めればいい。
本当の正義など誰にもわからない。
だからそれを探しましょう。
二人で、
それが「正義」の結論、
「信号無視」
親になって親の気持ちがわかる。
あの時はわからなかった気持ちが、
それを繋ぎ止めるために友人が役割を果たす。
同じ悲劇を繰り返さないために、
子は親の愛情を求めている。
求めても求めても足りないほどに求めている。
親の愛情は親が思うよりも子に伝わらないもの、
だからこそしっかりと言葉で伝える必要がある。
逆はわかりやすい。
子供は素直だから、
それでは不公平、
素直になってあげないと、
友情だってそう。
思ったよりも伝わらないもの、
言葉で伝えあわないといけないのだ。
すれ違ってしまった時、
そのままにしていたら、
心は時と比例してどんどん離れていく。
少しの違和感が不信感を増幅させるのだ。
誰もが臆病だから、
自分を守るために、
傷つかないために、
大事なものを疑って予防線を張る。
だけれどもそれが不幸の始まり、
気がついた時には手遅れになることも珍しくない。
何事も初動が大事、
「あの時ああしていたら」
後悔は先に立たない。
過去に引き摺られても、
多くの場合は良い結果を生まない。
だけれども引き摺られることしかできない時期はある。
そして「あの時」はそうするしかなかったのだ。
後から振り返る目は「神の目」
振り返るからわかる。
だから「あの時」はそうするしかなかった。
次に活かすしかない。
それができる最善の策、
「『これから』はあるの?」
もちろんある。
死ぬこと以外かすり傷らしい。
だけれども、
何度も何度も同じことで後悔することは愚かなこと、
いい加減、次に活かさないといけないな。
大切な人は、しっかりと愛の言葉で繋ぎ止めておかないと、
「あなたのことが好きです」
その一言が言えなくて、
言ってもすでに手遅れで、
そんな後悔は二度としたくはない。