世界の見え方が大きく変わってしまうような出来事

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洗礼なのか、

悟りなのか、

あるいはカタルシスなのか、


一言で表すことは難しいけれども、

そういう事は確かにある。


よしもとばななさんの『アムリタ』では、

頭を打って救急搬送されたこと、


村上春樹さんの『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』では、

4人の親友に理由もわからずに絶交されたこと、


津村記久子さんの『ポトスライムの舟』では、

精神疾患の発病、


いわゆる純文学と私が認識するものには、

そのようなものを題材にしている作品は無数にある。


「今まで信じていたものが急に色あせてしまう」


私にもそんな経験がある。

 

「憑き物が取れたみたい」だとか、

「だいぶ印象が変わった」だとか、

周りの見え方にまで影響があるらしい。


信じていたものを疑って、

これまでの努力を自ら否定して、


軸を失い不安定になった機体は、

ちょっとしたことで揺らぐようになってしまうのだ。


神秘的なものがクリアになる、

「知る」感覚に似ているのかもしれない。


「知らないほうが幸せだったこと」


世界の真理を見つけようとして、

その一端が顔を出したとき、

その深みに魅了されて足を滑らせたら最後、

戻ってこられるかわからない世界に迷い込んでしまう。


私は呪術的なものはあまり信じていない。

スピリチュアルの大半は根拠があって、

科学やら心理学やら統計学で説明できると思っている。


それでも、

「世界の見え方が大きく変わってしまうような出来事」

その存在は信じている。


私の経験など大した事ではないが、

多くの人が作品の題材に扱っていることがその証明、


周りのことなど気にせずに、

自分の幸せだけに集中できれば、

夢中になれることを見つけて、

そのことに没頭できる人生であれば、


悩まなくてもいいことに時間を費やさなくてもいいのだろう。

だけれどもそうできないのもまたカルマ、


そう生まれてきたのだから、

そう生きるしかない。


人の気持ちが見えすぎて怖い。


当たっているかどうかは別として、

人の気持ちばかり推察してしまう自分が嫌い。

 

『鈍感力』

 

少し前にそういう本が売れたくらいだから、

同じように感じている人は多いのだろう。

 

クリアになりすぎた世界は、

どうやらあまり居心地が良くはないみたいだ。

 

だけれども、

それが本当の世界であって、

目を背けたまま生きることも同じように、

居心地が悪いのかもしれない。

 

見えてしまうものは仕方がないし、

一度、画素数を高くしてしまったら、

低いものには満足できないのだ。

 

アナログ放送にはもう戻れない。

あのノイズを懐かしんでも仕方がない。

 

さらばアナロ熊