自分は周りとは違う。
これができたからあれもできるはず、
成功体験とともに、
どんどん理想が高くなっていく。
自分ならできるはず、
できないはずがないって、
なまじ挫折を経験していないと、
「手放すこと」が下手くそになって、
失敗したって「これが次の糧になる」って、
どんどん理想ばかりが独り歩きしてしまう。
だからどうしようもならないと、
自分のことがどんどん嫌いになって、
自尊感情は地に落ちていく。
バランス感覚を失った機体は、
フラフラしながらゆっくりと下降する。
余計な荷物を降ろしてあげないといけない。
そんなにたくさん持っていたって、
手に余るでしょ。
ほんの少しの大事なものだけを抱きしめて、
機体のバランスを立て直してあげないと、
「気がついているはず」
どれだけ「できる自分」を演出したところで、
何でもできるような天才ではないことを、
見えないところで努力して、
歯を食いしばって頑張って、
積み重ねたものが今の自分を作っている。
簡単に諦めたりするような、
そんなヤワではないでしょ。
頑張って耐えて、
なんとかしようと努力して、
それでもどうしようもなくて、
たどり着いた先が「イマ」のはず、
辛くて苦しい時間はしばらく続くもの、
「できる自分」を長いこと演出してきたから、
「できない自分」を認めてあげるのは一苦労、
だけれども、
その先にあるものに目を凝らしてみると、
少しづつ見えてくるはず、
「自分らしさ」という宝物が、
それを見つけようとして、
今まで頑張ってきたはずなのに、
いつしか目的は違うものにすり替えられていた。
誰かと比べて安心することにばかりこだわって、
舐められらいようにって、
認めてもらえるようにって、
「できる自分」はもちろん好き、
だけれども「できない自分」だって愛してあげないと、
自分の弱さを愛おしく思えたときに、
初めて自分を好きになれるもの、
好きなあの子の弱いところは愛しく思えるでしょ。
ならば自分にだって同じことができるはず、
「自分」にとって「自分」は特別だけれども、
そんな自分だって「みんな」の中のひとり、
過剰に自分を特別視してしまうと、
愛しすぎて、
馴れ合いすぎて、
期待しすぎて、
虐待しすぎて、
すべてが嫌になってしまう。
自分を信じるけれども、
期待しすぎないで、
愛してあげるけれども、
甘やかさないで、
頑張らせてあげるけれども、
虐待しないで、
生きるって難しい。