本来は人と関わることが好きで、
人の役に立つことに喜びを感じて、
人の中でこそ自分が成長できると信じている。
だけれども、
裏切られた経験が重なって、
女性不信になって、
心を開くことに臆病になって、
必要最低限のことしかやらなくなった。
それはとても不自然なこと、
人生の一側面に流されて、
積み重ねてきたものを手放してしまったら、
それまでの努力が水の泡、
ここ最近は少しずつ「自分らしさ」を取り戻せている気がする。
関わりたくない人はもちろんいる。
関わるたびに自分が醜くなってしまう、
そんな人、
取捨選択は幾らでもすればいい。
誰に対してもいい顔をして、
「それが成長」だなんて自分に言い聞かせて、
そんなことを続けていたら心が蝕まれてしまう。
どんなに傷つける結果になったとしても、
そんなことは知ったことではない。
それだけのことをしたのだから、
人の心に土足で踏み入って、
散らかすだけ散らかして、
外に面白そうなことを見つけたからって、
片付けもしないで去っていく。
楽しいことが終わってしまうと、
また散らかった部屋に戻ろうとするけれど、
今度はドアが開かないからって、
「トントントントン」ノックする。
部屋を散らかしたことなんて、
まるでなかったかのように、
しつこくノックする。
それでも開かないことがわかると、
「ドアが開かなくなったの」って、
周りに言いふらして、
まるでドアを開けない方が悪いかのよう、
あたかも被害者づらをして、
自分だけ幸せになろうとして、
居心地が悪いからって、
幸せの「邪魔をするな」と不快感をあらわにして、
なんの覚悟も見せずにノックを続けるだけ、
聞こえてくる言葉の一つでもあれば、
耳を傾ける用意はあるけれど、
響くのはただノックの音だけ、
見た目がいいから相手はすぐに捕まるけれど、
人を「不安を解消するための道具」にしか見ていない。
だからうまくいかない。
それはあなたの課題、
「私はあなたとは必要以上に関わりたくありません」
前に進むのだ。
ゼロに近い可能性に後ろ髪を引かれても何にもならない。
進む先を明らかにして、
辛く苦しい過去から脱するために、
前に進むのだ。
チャンスは簡単には舞い込んでこない。
次に巡ってくるまでの間、
後悔に苛まれながら、
辛く苦しい時間を過ごすのはもうたくさんだ。
いつだって掴み損ねる。
だから今回は掴み損なわない。
幸せで満たされれば、
辛い過去も苦しい経験も、
良い思い出に変わる。
「幸せを掴みたい」
自分らしく素直で誠実に、
人の中に飛び込んで、
幸せを掴みたい。
心からそう思う。