少し昔に女性から言われた言葉、
そう見えるということは、
私が差し出せるもの、
それを考えたときに、
その筆頭に挙がるものが「優しさ」なのかもしれない。
差し出せるものがあるだけいい。
そして差し出すと相手が喜んでくれるものだから、
なお良い。
皮肉を込めて言われた言葉かもしれないけれど、
自然と受け入れられている気がする。
対価を求めてはいけない。
大切な人に対して、
「優しさ」を差し出したいから差し出すのだ。
そうすることで、
「好きになってもらおう」だとか、
「いい人だと思われたい」だとか、
そんなことを目的としてしまうならば、
相手のことを都合の良い道具としか見ていないのだ。
優しくするくらいなんてことはない。
大切に思っているのだから、
それは当たり前のこと、
気持ちがすれ違って、
傷つけあって、
大切な人を信じられなくなっても、
「大切に思う気持ち」って、
心の奥に必ず潜んでいるはず、
今にも飛び出したいって、
外の様子をチラチラ伺っているのに、
「出てくるな」って押し込めて、
大切な人に対して、
イライラしているように接したりだとか、
無関心を装ったりだとか、
不満の捌け口にしてしまったりだとか、
「心は知っている」
イライラしているのは、
素直になれない自分に対してだってこと、
無関心を装うのは、
これ以上、醜い自分を晒したくないからだってこと、
不満の捌け口にしてしまうのは、
大切な人に甘えているからだってこと、
だからもっと素直になって、
大切な人には「大切に思っていること」を伝えればいい。
これ以上ないくらいにわかりやすく、
「大切に思っている」って言葉で伝えればいい。
どうしたらいいかなんて、
長い間、頭を悩ませるよりも、
そうしたほうが余程うまくいくのかもしれない。
大切だと思っていることに、
疑いようもないならば、
精一杯の「優しさ」を言葉に込めて、
一言だけ伝えればいい。
「大切に思っている」って、
その結果、
「優しいだけが取り柄なんでしょ」
そんなふうになじられたところで、
大切な人に気持ちが伝わるならば、
痛くも痒くもないのだから、
大切な人に大切だと思う気持ちを伝える以上に大切なことって、
この世にあるのかな。