土の匂いがプンプンするくらいに、
勝算があるから挑戦する。
綿密に計画を立てて、
いろんな可能性を想定して、
そんな生き方に染まってしまった。
だけれども、
それではやりたいことは見えてこない。
儲かること、
評価されること、
できること、
それがやりたいこととイコールになればいいけれども、
大抵の場合そうはならない。
とりあえずやってみて、
失敗して、
その結果としてうまくなる。
子供の頃は当たり前のようにしていた気がするけれど、
立場を得るごとに失敗することが怖くなる。
積み重ねてきたものを失うかもしれない。
失うどころかマイナスになってしまうかもしれない。
前に進むこと自体が怖くなるかもしれない。
自由な時間をうんとたくさん与えられたときに、
やりたいことがあるかどうか。
細かいことは思いつくけれど、
大きなことはなかなか思いつかない。
思いついたとしても、
それを実現する行動力が伴わない。
一人で海外に行ったり、
宿も決めずに1週間放浪の旅をしたり、
20代はそれをするだけの元気があった。
「なんだか年をとった気がするな」
よく浮かぶフレーズ、
年は徐々にとるものではない。
ある出来事に直面したときに、
絶望を知ってしまったときに、
一瞬で老けてしまう。
一歩踏み出すことに苦労するようになってしまったけれど、
まだまだ歩ける足はあるし、
そこそこ弾む心を持ち合わせている。
いつだって「イマ」が一番若いのだ。
泥にまみれて、
しぶとくファールで粘って、
塁に出たらここぞとばかりに足で稼いで、
そんな風に生きたい。
そう思えるうちに、
心が固まってしまう前に、
そうしておいたほうがいい。
立ち止まる時間はもう終わり、
一歩一歩を確かめるように、
慎重に慎重に進んでここまで来たじゃないか。
不安なことはだいぶ減ったでしょ。
できなくなったことはだいぶ減ったでしょ。
何かを失った経験は、
必ず何かを教えてくれるはず、
失った手足の代わりに生えた羽で、
羽ばたくときはいつだって「イマ」なのだ。
「お前に華麗なんて言葉が似合うと思うか赤木。
お前は鰈だ。泥にまみれろよ」
魚住さん、おっしゃる通りです。