私もその傾向が強い。
特に規則についてはそう感じる。
それを守れなくてうまくいかなくても自己責任、
誰も助けてなどくれない。
自分はそれでいいけれど、
おそらく他人にも無意識にそれを求めているのだろう。
その根底には自信のなさがある。
この曲の一番は驚くほど私の惨めさを表している。
「裏切ったあいつが笑ってて、
裏切られた自分がこんなに不幸だ」
「セックスばっかのお前らなんかより、
愛情求めて生きてきてんのに、
ああ今日も愛されない」
そんな被害者意識が強いのだろう。
自分の生き方に自信があれば、
人がどうだろうと気にならないはず、
それを規則だとか平均に縛られて、
人と比べては惨めな気持ちになる。
日本に住む外国人が口々に言うらしい。
「日本人は何をするにも年齢で評価する」
25過ぎたら結婚相手を見つけないと、
30過ぎたらそろそろ結婚だよね。
35過ぎたら子供がいないと、
40過ぎたらそろそろマイホームかな。
何でもかんでも「年齢」がものさし、
「みんながそうだから」
その言葉に安心して、
「みんな」よりも遅れていたら、
それだけで劣等感を感じて、焦って、
自分の価値を信じられなくなって、
本人が楽しく生きていればいいのに、
それをあの人はああだとか、
この人はこうだとか、
それを真に受けて一喜一憂、
相手がいれば安心できる。
でもそれって「好き」なのかわからない。
ライフステージを進めるために結婚するの?
みんな「この人ならば、まぁいいかな」って、
そんな調子で付き合うけれど、
そこから生まれた恋って本物なの?
恋に恋しているのか。
相手に恋しているのかわからなくなる。
結局は自分を納得させるため、
1番好きな人が振り向いてくれないからって、
無理に自分を納得させて、
前に進むため、
そうやって、
妥協した先の恋に恋して、
「今が幸せ」
「一緒になってよかった」
って、そう思うようになって、
そうやって進んでいくのかもしれない。
それならば、
今の苦しみは無駄なこと、
「好きな人」ではなくても、
「好きになれそうな人」
そういう人と先に進む覚悟が、
私には足りないのかもしれない。
気がつけば周回遅れ、
「平均」からは大きく遅れをとっている。
「好き」って魔法にかかるのを待っていたって、
魔法使いは現れない。
そうこうしているうちに、
自分が魔法使いになってしまうのだ。
それならば、
自分で自分を「好き」って魔法にかけてあげないといけないのかな。
たとえそれが自分を守るための思い込みであったとしても、