「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「令和」を生きるために一番大事なこと

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平成が終わる。


昭和の終わりに生まれて、

人生のほとんどを平成で過ごしてきた。


今日婚姻届を出さなければ、

「平成ジャンプ」

それは99.9999999999%間違いないこと、


30歳までは、

順風満帆とまではいかないけれど、

自分と世界との間に違和感を感じなかった。


30代という現実を突きつけられて、

体が思うように動かなくなり、

心に嘘をつき続けることに限界がきたのかもしれない。


「体力で乗り切ることができる」

そういう「絶対時間」は過ぎてしまったのだ。


「絶対時間」は、

クラピカの寿命を縮めてしまう。


それと同じように、

コーヒーやらエナジードリンクに頼って、

ギリギリまで追い込んで、

人間らしい生活を手放して、

ここぞを乗り切り続けても、

確実に「歪み」は体に刻まれる。


もう若くはない。

誤魔化しは効かないのだ。


そこまでして、

手に入れる価値のあるものってなんだろう。


「自分のやり方」という過剰な自意識か。

泥臭く生きるために邪魔な「プライド」か。

人から与えられた「生きがい」か。


誰かと同じことをしていれば安心できる。


だからって、

人生を誰かに委ねたところで、

手元に残るものは輝きを失った何かだけ、


「この枠からはみ出てはいけませんよ」


ルールがあって、

それを守ることで認められる。


基準が確かだから、

その中で生きていれば、

自分がその「ルール」に守られていれば、

居場所が与えられる。


「ルール」を守っているようで、

「ルール」に守られているのだ。


与えられた居場所を批評して、

それに満足できれば、

後のことは見て見ぬ振り、


だけれども、

それに満足できない人はたくさんいる。


社会、性別、国にさえ、

属せない人だってたくさんいる。


その人たちが守るべき「ルール」は、

「命を繋ぐ」ということだけ、


居場所がないから、

見つけるためにできることはなんでもする。

だから人だって傷つける。


誰かのことを考える余裕なんてないから、


もちろん犠牲になればたまったものではない。

責めることがお門違いなどとは、

口が裂けても言えるわけがない。


だけれども問い続けなければいけない。


「相手の立場で考えたらどうなの?」って、

「自分の振る舞いは人としてどうなの?」って、

「どうしたら絶望を希望に変えられるの?」って、


道徳だって、

哲学だって、

宗教だって、

その基準を「自分」が決めるためにある。


誰かの決めたルールに従って生きることに、

必要以上にこだわって、

考えることをやめてしまったら、


知らないうちに誰かに飼いならされてしまう。

食い物にされてしまう。


「ぐっ、くるっ、ぱ、」

「Let's think(考えよう)」


あなたの選択は、

本当にあなたの意思なのかを、

あなたを幸せに導くものなのかを、

あなたの周りを幸せにするものなのかを、


「考え続けよう」


みんながそれを諦めなければ、

自然と世界の「希望」は「絶望」を凌駕する。


傷つけ合う負の連鎖など、

とても追いつかないほどに、

「幸せの輪」が広がればいい。


コップに毒を垂らしたら、

それが致死量になるとしても、

そのコップを広大な海に垂らしたところで、

毒にはならないのだから、


「考え続けること」


「人」が「人」であるために、

どう在ればいいのか。


代替されない「自分」というものを、

真剣に構築しなければならない。


「私はこう考えて生きている」


胸を張って生き様でそれを表現することが、

「令和」を生きるために一番大事なことだと私は思う。

 


『imagine』


「Imagine there's no countries

It isn't hard to do

Nothing to kill or die for

And no religion too

Imagine all the people

Living life in peace」


(想像してごらん。

国境のない世界を、


難しいことじゃないでしょ。

殺す必要も誰かのために死ぬ必要もない。

宗教だってない。


想像してごらん。

全ての人がただ平和に生きていることを、)

 


それではみなさん、

「良き時代を」