友達夫婦の話、
ご飯の感想は素っ気ない。
髪を切っても気がつかない。
だから奥さんが気にかけて欲しいからって、
たまに体調の悪いフリをするらしい。
だけれども顔に出てしまうから、
旦那さんはそれをわかって軽くあしらう。
でも、本当に体調が悪い時は、
気にかけて、大事にして、看病してくれる。
奥さんの、
「気にかけてもらいたい」
それは好きって証、
旦那さんの、
「大事にしたい」
それは愛している証、
それと同時に、
お互いが「愛されている証」
何気ない日常だけれども、
「愛」が見え隠れしている。
隠してばかりだと不安を生み出してしまうから、
たまには「愛」をチラつかせたほうがいい。
「言わなくてもわかるでしょ」
男はそうなりがちだけれども、
たまには自分から手を繋いでみたり、
「そういうところが好きだよ」って、
「いつもありがとう」って、
愛の証を示してあげること、
「男女」を飛び越えた先に、
「家族」がある。
だけれども、
それを飛び越えた先に、
また「男女」があるのかもしれない。
「夫婦を越えてゆけ、
二人を越えてゆけ、
一人を越えてゆけ」
恋ダンスでも踊りながら、
お互いの「愛の証」を確認すればいい。
その作業を怠ると、
相手はただの「同居人」
相手に触れたいという気持ち、
それを素直に伝えたい。
たまには、
「愛の証」を見せ合って、
見せ合うのが恥ずかしいならばチラつかせて、
お互いが異性であることを忘れないで、
生きていくこと、
手を繋いだ老夫婦、
その姿に安らぎを感じるのは、
「憧れ」
相手に触れたいという気持ち、
それを見せ合うこと、
その作業を怠らないこと、
そうして生きていきたいと思う。
「愛の証」
それはいつだって心の中にあるはず、
たまには取り出して磨いてあげないと、
気がついたら取り出せないほど錆びついてしまう。
「気恥ずかしさ」よりも、
優先すべきものってあるはずでしょ。
「憧れ」を実現すること、
「そんなの今更」って思ったって、
わかったような気になっても、
いくら同じ時を重ねても、
他の人のことなんて、
わからないことの方が多いのだから、
大切に思っているのならば、
その気持ちを差し出すこと、
「突然どうしたの?」って言われたって、
人から大事に思われて嬉しくないはずはない。