心と行動の距離が離れてしまうから、
それを教えるために体が出す信号、
それが不安、
憎しみたくないのに憎んで、
恨みたくないのに恨んで、
そんなものを目指しているわけではない。
それで誰かを追い込んだところで、
虚しくなるだけ、
理想の自分、
そこからの距離があまりにも遠くなると、
心は「不安」で教えてくれる。
そっちじゃないよって、
だから、
とんでもなく不安になった時、
恐ろしくなった時、
一度立ち止まって考えたほうがいい。
心は教えているはずだから、
その機能がバカになってしまうと、
どんどん人間からかけ離れてしまう。
弱くて脆い生身の人間、
自分だって誰かだって、
同じ弱さを抱えている。
いくら強く見せたって、
困難を乗り越えて、
強くなったように思えたって、
心の柔らかい場所は柔らかいまま、
誰だってそうなんだ。
その心の柔らかい場所を守るようにして、
弱みを見せないようにして、
不安を押し殺して、
そうやって無理をして、
人の痛みに鈍感になって、
自分の痛みにも鈍感になって、
人ではない何かに変わっていく。
気がつかない速度でゆっくりと、
だから、
不安を遠ざけてはいけない。
耳を傾けて立ち止まらなくてはいけない。
不安は教えてくれるはず、
本当はどうなりたくて、
なにを求めているのかってことを、
長く辛く苦しい夜に、
そのことに気がつけたことに感謝、
優しくなりたい。
傷つけられても、
その憎しみを振りかざす相手はいないほうがいい。
誰かを傷つけて、
そんなことで満足するような人間もどきにはなりたくない。
「優しいだけが取り柄」
所詮そんな男なのだから、
唯一の取り柄を大事に抱きしめて生きればいい。