「これ以上何を失えば、心は許されるの」
そんなヒロイズム、
自分の価値を確かめるために、
「この失恋はとても大きなものだった」
そう思い込む。
何が変わるわけでもない。
自分のことが大好きだから、
いつだって自分で自分をお膳立て、
なんともご都合のよろしいことで、
涙が出てきてしまうほど、
「自分の人生は自分が主役」
だけれども、
そうドラマティックにばかり演出していたら、
心が疲れてしまう。
時には手を抜いたっていいじゃない。
むしろ大抵は手を抜いていたって問題ない。
真剣に生きることって、
深刻に生きることではない。
苦しみや悲しみを避けては通れないけれども、
喜びや楽しみだってたくさんあるはず、
それを遠くに追いやって、
「私はこれだけ傷ついています」だなんて、
みんなに傷を見せびらかしたところで、
そのうちみんなうんざりしてしまうでしょ。
「不幸自慢」
自慢できることが不幸しかないのならば、
そこから抜け出して、
その努力を自慢にすればいい。
不幸に存在価値を委ねてしまうと、
もっと不幸が舞い込んでくる。
そして不幸が舞い込んでくるたびに、
「それ見たことか」って、
苦しんでいるようで安心する。
不幸なしでは生きられなくなってしまうのだ。
「不幸に依存するな」
誰だって、
大なり小なり不幸を抱えている。
それを笑い飛ばして生きている人だっている。
そういう人のほうが魅力にあふれている。
だから、
いつまでも不幸にすがって過ごしていたって、
また新しい不幸が現れるたびに、
それに安心して生きるだけ、
どこかで変わらなければいけない。
不幸が舞い込んできたら、
心の底から苦しめばいい。
ここから這い上がってやるって、
それを原動力に変えればいい。
誰よりも幸せになるんだって、
そう決めて生きていればいい。
思い通りに行かなくて、
不幸の上に不幸が重なることもある。
だけれども、
頑張ってしあわせになろうとしている人の周りには、
必ず助けてくれる人がいるから、
だから、
その人達に存分に助けてもらって、
存分に感謝して、
今度は存分に助けてあげればいい。
「誰だって幸せになりたい」
だけれども、
それ以上に無価値であることが怖い。
「無価値よりも不幸のほうがマシ」
不幸が重なると、
そこから抜け出す気力もなくなって、
そう思ってしまいがちだけれども、
もしそう思って生きているならば、
それは間違っている。
それは間違っているよ。
絶対に、
苦しんだ人ほど、
幸せになる権利があるのだから、
そういう世の中になればいいのに、