苦しむたびに、
つらい思いをするたびに、
世界が少しずつ形を変えていく。
所詮は自分から見える世界がすべて、
楽しい思い、
嬉しい思いをしたところで、
見える世界はあまり変わらない。
それはそれまで生きてきた世界を、
より鮮明に肯定する作業だから、
無邪気に泣き、
無邪気に笑う赤ん坊、
人はもともと世界は素晴らしいものだと信じて生まれてくる。
だけれども、
どこかのタイミングで、
「生きづらい」
そう思うときは必ず来る。
そう思うから、
自分から見える世界を変えて、
「自分の世界」を変容させて、
生きやすくしようと躍起になる。
大抵は、
その過程で「信じる」ことを恐れるようになる。
自分を守るために、
無条件で信じることを止めてしまって、
人を疑うことを覚える。
そうやって、
世界の見え方を変えていくのだ。
その経験が乏しいと、
洗礼を受けることになるのかもしれない。
あるときに、
思いもよらぬ人の悪意にさらされて、
再起不能に追い込まれる。
人を信じて生きていたから、
食い物にされて、
捨てられて、
その振れ幅が大きいほどに、
世界との距離感を掴むまでに時間がかかる。
一度狂ってしまった距離感を、
もう一度測り直すために、
過去をさかのぼって、
知らない世界に足を突っ込んで、
そうやって適切な距離感を模索する。
時間をかけて、
ゆっくりと、
その先にあるものが、
鬼か蛇か、仏か神か、
それはわからない。
だけれども、
そこで測り直した距離をもとに、
もう一度「生きていく」ことになる。
もしかしたらそれも間違えているのかもしれない。
間違えるたびに、
傷ついて、苦しんで、
もう一度、距離を測り直す。
正解なんてわからない。
人生はその繰り返し、
最後に笑って過ごすために、
後悔をしないように、
何度だって傷ついて、苦しんで、測り直して、
その先にあるものを信じて、
「終わりなき旅」
人生ってそういうものなのかな。