失うものが何もないから、
何をしでかすかわからない。
そういう人を「無敵の人」というらしい。
先日起きてしまった凄惨な事件、
「死にたいならば自分だけで死ねばいいのに」
その考えに警鐘を鳴らした人がいた。
病理は「人を道具としてみてしまう弱さ」
犯人はもちろん、
「自分だけで死ねばいいのに」
その考えにもそれは垣間見える。
「自分と大切な人」
守れる範囲は所詮そこまで、
それは仕方のないことだけれども、
誰にだって心はある。
「自分と同じ弱い心を持った生身の人間」
それを忘れてはならない。
心をボロボロにした先にたどり着いた悲劇、
大切な人を理不尽に失う。
そこから憎しみが生まれる。
「憎むな」
そう言われてもそれは無理なこと、
憎むことしかできない時期だってある。
失った人にしかその悲しみはわからない。
世界には同じような悲しみが溢れていて、
人々の心は日々消耗するばかりで、
癒やされる機会があまりに少なすぎる。
だからこそ、
日常に散りばめられた幸せのかけらたちを、
目を凝らして見つけてあげるしかない。
小さなかけらかもしれないけれど、
拾い集めればいっぱしの幸せになる。
憎しみは憎しみを生むし、
人々の心は消耗する一方、
「無敵」なんかではない。
数多くの敵から追い詰められて追い詰められて、
最後に選んだ選択肢、
「無敵」
想像力が豊かになってしまったから、
勝手に妄想を広げて、
不必要に敵を作り続ける。
人は創造する力と引き換えに、
大きな苦しみを手にしてしまったのかもしれない。
みんながみんなに優しくなれて、
裏切られる心配なんて、
傷つけられる心配なんてしないでよくて、
「失うものは何もない」
そうではなくて、
「もともと争うべき敵などいない」
そういう意味で、
みんなが「無敵」になれたらいいのに、