一度、不信感が募ってしまうと、
厳しい目を向けるようになってしまう。
次は傷つけられないようにって、
嫌な目に合わないようにって、
自分を守るために必死になる。
その目で見てしまうと、
どうしたって歪んでしまう。
自分だって大してできるわけでもないのに、
人の粗ばかり探して「デキるやつ」気取り、
目隠しされて、
人の悪いところしか見えなくなって、
自分のことは棚に上げて、
先日相談に乗った女性が、
そのような状況に陥っていた。
「私って可哀想でしょ」
確かに酷い目にあったみたい。
「私は悪くないでしょ」
いいや、少しはあなたも悪いでしょ。
そうは言わなかったけれど、
自分のことを守るために、
どうやらそのことが見えなくなっているみたい。
「完璧を求めすぎ」
できないことってたくさんある。
不十分なところだってたくさんある。
振り返ってみたら、
自分だってできないことだらけでしょ。
それを「不信の目」でしか見られなくなって、
みんなが敵だって思い込んで、
どんどん追い詰められて、
「あなたが思っているよりも、
周りはあなたに対して無関心ですよ」
そのことを受け入れないといけない。
人はどうしたって、
「自分は特別」だと思いたがる。
自分の人生は自分が主役、
自分から見える世界がすべて、
だから仕方のないことだけれども、
少しは「自分も世界の一員」であることを、
知ってあげないといけない。
「幼稚な全能感」
それを捨て去ることができないまま大人になると、
それを捨て去るのに一苦労、
自分は大したことなくて、
できないことばっかりで、
頑張っても、頑張ってもできないことはあって、
周りの人たちだってそれは同じで、
人って不完全な生き物で、
誰から何を言われたって、
予想つくくらい悩んだはずだから、
心以外では受け止めているはず、
痛い目にあって、
辛い思いをして、
そこから逃げないで、
「あきらめる」ことを学んで、
そこで初めて「自分の存在」を認めてあげて、
あとは心だけだよ。
意地を張っているのは、
できなくたっていいじゃない。
「にんげんだもの」
ますを