どうしようもなく不安なとき、
自分の価値を信じられないとき、
「ありがとう」
誰かの一言に救われる。
そんなつもりはなくても、
誰かの命をつなぐ言葉、
だから、
世の中が「ありがとう」で満たされればいい。
言葉にすることは恥ずかしいけれど、
その一言が誰かを救うかもしれない。
そう考えたら、
恥ずかしがる必要なんてないでしょ。
「好き」や「愛してる」は特別な言葉、
むやみに使ってはいけないもの、
だけれども、
「ありがとう」はどんどん使えばいい。
気が付かないだけで、
使える機会はたくさんあるはず、
何気ない気遣いに、
「ありがとう」
心配してくれて、
「ありがとう」
生まれてきてくれて、
「ありがとう」
相手が人でなくてもいい。
出来事や物、自然に対しても、
「ありがとう」
嬉しい気持ちになったとき、
楽しい気持ちになったとき、
そんな気持ちにしてくれて、
「ありがとう」
人の揚げ足ばかり取ろうとして身構えている。
そんな人なんてほっておいて、
「ありがとう」を言う機会はないかと身構える。
「ありがとう」が言いたくて言いたくて仕方がない。
そんな人ばかりの世の中になれば、
傷つけ合うことなんてだいぶ減って、
傷ついたとしてもすぐに誰かが救ってくれて、
「自分の価値を信じられなくなる」
そんな痛みなんて、
「なにそれ、美味しいの?」って、
この世から忘れ去られてしまうのかもしれない。
信じられないから認めて欲しがる。
だからそのために誰かを傷つけることを厭わない。
みんながみんなを認めてあげれば、
誰かを傷つける必要なんてないのに、
「ありがとう」って、
魔法の言葉、