少し「婚活」にお熱なものだから、
色々な女性と話をする機会を得ている。
その中で感じたこと、
ある人は、
「私は男の人が嫌い。
だけれども家族の大切さを感じた出来事があって、
だから婚活を始めた」
そう言っていた。
仕事は充実していて、
生活には何不自由ないみたい。
「家族の大切さ」
ごく当たり前に感じる言葉だけれども、
他人ならば男と女でないと「家族」にはなれない。
そういう認識があるから出た言葉、
何も嫌いな生き物と一緒になる必要なんてないだろうに、
合コンに参加していた、
ある友達同士の女性二人は、
その帰り道に手をつなぎながら歩いていた。
仲が良くてしょっちゅう二人で遊んで、
旅行にもよく行くらしい。
二人で談笑する姿は、
とても満たされているように見えた。
「二人で結婚するのが一番いいんじゃない?」
そう思うほどに、
二人の世界ができあがっていた。
だけれども、
彼女たちは「男」と結婚をしたいらしい。
二人でいることに満たされている様子なのに、
なんだか「女性」というものに多く触れてみて、
我々は「性」というものにこだわりすぎているように思った。
もちろん私も含めて、
今が満たされているのに、
無理して異性を求めすぎている。
「お年頃だから」
「子供のことがあるから」
そうやって、
好きになろうと努力しながら、
好きでもない相手と一緒になろうとして、
「結婚することが目的」
そうなっては本末転倒なんじゃないかな。
「男」と「女」は別の生き物だから、
考え方も違えば、体の仕組みも違う。
共感できないことは多いし、
性差からどうにもならないこともある。
理性的に考えれば同性よりも好きになれる確率など低いはず、
男女の「好き」は、
本能からくるもの、
種を保存するために、
脳は性行為に快楽を付与するらしい。
それと同じように、
脳が異性に対して「好き」と指令を出す。
「恋」の正体って、
そういうものなのかもしれない。
だけれども、
違う生き物同士でも、
どうしようもなく気が合う相手はいるもの、
一緒にいて心地良い。
それこそ「性」を飛び越えて、
いっしょに時を重ねたいと思う人、
そういう相手に巡り合うために、
いろいろな人と出会いを重ねるのだろう。
なにも「婚活」が目的ではない。
同性でも異性でも関係なく、
いっしょに「時」を重ねたい人が周りにたくさんいる。
そういう人生って素敵なもの、
わざわざ「性」という制約をつけて、
人生の目的に「結婚」というものを掲げすぎるから、
だからどこにもいけなくなって苦しくなる。
「充実した人生を過ごすため」
そう思うならば、
「結婚」よりも優先すべきことってたくさんある。
「社会から求められるミッションをこれまで私はこなしてきた。
だから「結婚」というミッションだってこなせるはず、
こなせない自分を許せない。」
そんなに息を巻いたって、
「結婚」はゴールではないよ。
その先のことはどう考えているのかな。
心の底から時を重ねたいと思う相手ならば、
社会の制度に縛られる必要はなくて、
誰に気兼ねすることもなく、
時を重ねればいいんじゃないかな。
なんだかそう思った。
断っておくけれど、
私は「女好きの男」
それに男女の結婚に対する憧れが強い。
だから婚活をしている。
少なくとも今のところは、
それも「女性」というものを覆う、
神秘のベールが剥がれたときに、
私の心がどう変わるかはわからないけれど、
少なくとも今のところは、
「社会の基準」というものに沿って、
本能が働いているみたい。
ただそれだけのこと、
なんだか「性」に対する見方が冷めてきた。
今はただ、
思いを寄せる人と過ごす、
その日に思いを馳せる。
まだまだ先、
早く会いたい。
これも脳からの指令に過ぎないのかな。
「性」を飛び越えているかどうかはわからない。
それでも別にいいか。
たまらなく会いたいのだから、