「正義」に絶対はないものだから、
善悪の判断に困るトピックスに直面すると、
人は「むずかしい」という言葉を使う。
「むずかしい」
判断が難しいということ、
「むずかしい」
難解で理解が及ばないということ、
そうやって断定しないこともまた、
思いやりの形でもある。
なんらかの判断をする時に、
中間に近い場所にあるとしても、
自分の善悪はどちらかに寄っているはず、
それを断定してしまうと、
自分とは違う意見の人を傷つける恐れがあるから、
「むずかしい」
どうしても譲れないことを除いては、
たいていその言葉で物事を収める。
そうするとたいてい相手も、
「むずかしい」に同調する。
そうやって持ちつ持たれつして、
軋轢を減らして生きやすい環境を作るのだ。
過剰な自意識に支配されていない限りは、
だけれども、
自尊感情が地に落ちて、
そんな思いやりすら考えられなくなってしまったら、
さあ大変、
自分の存在価値を示すために、
何にでも反対して、
難癖つけて、
周りの迷惑など顧みないで、
少し考えればわかることなのに、
間違えた持論を振りかざして、
理論破綻を指摘されたら逆上して、
口では言われなくても、
誰もが思っているよ。
「関わりたくないな」って、
いくら自分の価値を信じられないからって、
人から認めてもらいたいからって、
誰かを食い物にするようになったらもう終わり、
自分を認めてあげることって、
「むずかしい」こと、
自分を認めすぎないこともまた、
「むずかしい」こと、
そうやって、
「むずかしい」という言葉を使って、
落とし所を曖昧にする。
「むずかしい」って、
便利な言葉、