ある種の発達障害的な要素なのかもしれない。
それと同時に才能と言えるものなのかもしれない。
常にあれこれ考えを巡らせて、
先のことやら過去のこと、
シュミレートしたり掘り起こしたり、
感情は目まぐるしく移り変わり、
それをコントロールするにも一苦労、
私はおそらくこの気がある。
何でもさらけ出しあった親友と呼べる友人もこれ、
夜になると、
いろいろなことがグルグルと頭の中を巡るから、
「不安」や「怒り」といった感情が幅を利かせる。
うまく呼吸を整えて、
それらを飼いならしながら、
長い夜を越える日もある。
もともとぐっすりと眠れるタイプだった。
眠れないなんて考えたこともないくらいに、
こうなったのは3年前のパニック障害からだ。
自律神経が馬鹿になってしまったから、
夜中に突然目が覚めるし、
体が重くて辛い時期がある。
ちょうど今はそんな感じ、
不便な体と引き換えに、
色々なものが見えるようになった。
凝り固まった価値観に執着して、
どんどん心を硬直させていた。
その凝りをほぐして、
柔軟に物事を見られるようになった。
些細な変化に目が向くようになり、
女子力は無駄に高まった。
村上春樹『ダンスダンスダンス』
「誰よりもうまくステップを間違えずに、
とにかく踊り続けなければならない」
生きづらい体になったから、
生きやすい心を手に入れる。
そうやって少しずつ前に進んできた。
だけれども、
「不安」や「怒り」に支配される夜は辛い。
自分のことを嫌いになってしまう。
メタ認知できているはずなのに、
なかなか負の感情は収まってくれない。
私の中で、
「不安」や「怒り」を手放したくないのかもしれないな。
「自我」では手放したくて仕方がない。
だけれども「無意識」が手放してくれないのだ。
「夢」は無意識の表層、
だから夜中に目が覚めて、
たまらなく心が落ち着かなくなる。
いくらそれらしい理屈をつけても、
心では許せない。
根本的な意味で、
心を成長させてあげるしかない。
どんなに誠実を装っても、
紳士的に振る舞っても、
心は醜いのだ。
なかなかそれを変えることは難しい。
だけれども向き合って、
少しでも変えようって努力して、
理想の自分に近づくこと、
それが「人生」ってものなんじゃないかな。
「不安」や「怒り」が簡単に消えてしまったら、
薄っぺらい人間になる。
だから「無意識」は、
「不安」や「怒り」を手放してくれないのかも、
河合隼雄さんの言葉だったかと思う。
「精神疾患が治りにくいって才能があるってこと」
自分を納得させることができない。
理想が高いから、
手放したほうが楽だけれど、
自分に満足できないから、
手放すことができない。
「不安」や「怒り」だって同じ、
きっとそういうことなのだろう。
強く訴えかけてくる。
無言だけれども心の内側から、
強く訴えかけてくる。
それを無視することは私にはできない。
自分であって自分ではない。
「無意識」ってやつは、
とても面倒で扱いに困るやつだ。