先のことなど考えないで、
細胞が瞬時に反応して、
「人として正しい」
そういう行いをするようになりたい。
どうにも計算が過ぎる。
「こうすればああしてくれるはず」だとか、
「仲良くしておいたほうが有利」だとか、
汚い。
醜い。
そして自分が嫌いになる。
経験を積めば積むほどに、
世界は色あせて見えてしまう。
それは仕方がないことなのかな。
「見返りを求める」
確かに得るものはあるかもしれないけれど、
それと同時に失うものがある。
それを理解した上で見返りを求めないと、
気がついたら手遅れ、
何を見ても、
何をしても、
心が震えなくなってしまうのだ。
全力でぶつかって、
全力で傷ついて、
だからこそ全力で喜ぶことができる。
そういうものなんじゃないかな。
醜く映るあざとさ、
爽やかに映るあざとさ、
自分が見返りを求めていることにすら気がつかない人がいる。
周りから見れば一目瞭然なのにね。
見返りを求めていることを巧妙に隠そうとする人がいる。
尻尾が見えているのにね。
見返りを求めてしまうならば、
どうせならば、
「見返りを求めていますよ」って、
開き直ったほうがまだいい。
その方がずっと好感を持てる。
「生き方に覚悟があるのか」
傷つかないようにって、
人の顔色ばかり窺うなんて、
そんな生き方はしたくない。
なるべく自然と見返りを求めないようになりたい。
そこまで至らないならば、
「見返りを求めていますよ」って爽やかに、
自分らしさを犠牲にするくらいなら、
傷ついたほうがマシって覚悟を持って、
見返りを求めることで、
失ってしまう何かを大事にして、
たくさん傷つきながら、
たくさん喜びながら、
いっぱい泣けるように、
そうやって生きたい。
強くならないといけないな。