「相手に嫌われたくないから」
そういう優しさは重荷になる。
ずっしりと相手の自由を奪うのだ。
「相手のことが心配だから」
そういう優しさは体を軽くしてくれる。
「気にかけてくれる人がいるんだな」って、
心の負担を軽くしてくれるから、
「優しい」
一口に言っても、
いろんな形がある。
痛みを伴う優しさだって、
たくさんあるだろう。
心を鬼にして突き放すことだって、
優しさかもしれない。
「相手の心に寄り添っているかどうか」
それが大事、
人はいつだって、
そんな簡単なことを忘れてしまう。
不安に怯えて、
傷つくことを恐れて、
自分本意な優しさにかまけて、
自分のことが嫌いになって、
そうやって、
自分の価値を信じられなくなってしまう。
だから優しい自分でいることに、
「優しいね」って言ってもらえる、
そのことに自分の価値を見出すようになる。
人の価値ってそれだけじゃないでしょ。
多少のわがままを貫いたほうが、
いい結果を生むことはあるし、
間違いを正さないことは優しさかと言われると、
決してそうではないし、
「優しい」ってことは個性の一つで、
決してその人の全てではないよ。
ドラマ『凪のお暇』
自分の居場所を作るために、
「空気を読む」ってことに躍起になる。
その結果「都合のいい人フォルダ」に入れられてしまう。
人に嫌われないための優しさには、
人をダメにしてしまう作用があるのだ。
自分が「都合のいい人」に成り下がってしまうだけではなくて、
周りの人までダメにしてしまう。
自立を阻害するのだ。
媚びるな!
凛とあれ!
自分を好きになるにはどうしたらいいのか。
そのことだけを考えて生きていればいい。
いくら役に立ったところで、
自分のことを嫌いな人の周りには、
自分を好きになってくれる人は寄ってこない。
傷ついて、
自信をなくして、
そういうときに真価が問われる。
自分の価値を信じてあげられるのか否か。
そこが勝負の分かれ目、
一人に嫌われたって、
世界が終わるわけではないのだ。
距離をおいて次に進めばいい。
謙虚の裏に野心を隠すようなしたたかさ、
そういうものって必要なのかもな。
優しさって、
嫌われないための道具ではない。
優しさって、
自分の価値を代替するものでもない。
優しさって、
相手のことを思って、
自然と出てしまうもの、
利害ばかりにとらわれて、
自分が嫌になってしまう。
誰から嫌われたって、
どうってことないって思えるくらいに、
強くありたい。
自分のことが嫌いになってしまったら、
試合終了、そこで終わりなのだから、