優しさを履き違えてはいけない

f:id:tureture30:20190815073219j:image

 

「相手に嫌われたくないから」


そういう優しさは重荷になる。

ずっしりと相手の自由を奪うのだ。


「相手のことが心配だから」


そういう優しさは体を軽くしてくれる。

「気にかけてくれる人がいるんだな」って、

心の負担を軽くしてくれるから、


「優しい」


一口に言っても、

いろんな形がある。


痛みを伴う優しさだって、

たくさんあるだろう。


心を鬼にして突き放すことだって、

優しさかもしれない。


「相手の心に寄り添っているかどうか」


それが大事、


人はいつだって、

そんな簡単なことを忘れてしまう。


不安に怯えて、

傷つくことを恐れて、

自分本意な優しさにかまけて、

自分のことが嫌いになって、


そうやって、

自分の価値を信じられなくなってしまう。


だから優しい自分でいることに、

「優しいね」って言ってもらえる、

そのことに自分の価値を見出すようになる。


人の価値ってそれだけじゃないでしょ。


多少のわがままを貫いたほうが、

いい結果を生むことはあるし、


間違いを正さないことは優しさかと言われると、

決してそうではないし、


「優しい」ってことは個性の一つで、

決してその人の全てではないよ。


ドラマ『凪のお暇』


自分の居場所を作るために、

「空気を読む」ってことに躍起になる。

その結果「都合のいい人フォルダ」に入れられてしまう。


人に嫌われないための優しさには、

人をダメにしてしまう作用があるのだ。


自分が「都合のいい人」に成り下がってしまうだけではなくて、

周りの人までダメにしてしまう。

自立を阻害するのだ。


媚びるな!

凛とあれ!


自分を好きになるにはどうしたらいいのか。

そのことだけを考えて生きていればいい。

 

いくら役に立ったところで、

自分のことを嫌いな人の周りには、

自分を好きになってくれる人は寄ってこない。


傷ついて、

自信をなくして、

そういうときに真価が問われる。


自分の価値を信じてあげられるのか否か。

そこが勝負の分かれ目、


一人に嫌われたって、

世界が終わるわけではないのだ。

距離をおいて次に進めばいい。


謙虚の裏に野心を隠すようなしたたかさ、

そういうものって必要なのかもな。


優しさって、

嫌われないための道具ではない。


優しさって、

自分の価値を代替するものでもない。


優しさって、

相手のことを思って、

自然と出てしまうもの、


利害ばかりにとらわれて、

自分が嫌になってしまう。


誰から嫌われたって、

どうってことないって思えるくらいに、

強くありたい。

 

自分のことが嫌いになってしまったら、

試合終了、そこで終わりなのだから、