努力の目的

f:id:tureture30:20190822063512j:image

 

何でも手に入れたいからって、

努力すれば報われるって、

そうやって生きてきたけれど、

どう頑張ったってダメなものはあるのだ。


それを手放すことができないから、

辛くて苦しくて眠れない夜を過ごして、

生活そのものを壊してしまう。


タイミングが大事、


年を取れば、

体は言うことを効かなくなる。

そんなことは当たり前、


いつまでも若さにしがみついて、

「まだまだ大丈夫」って、


ストイックに鍛えたり、

がむしゃらに動き続けたり、

そうした先の今、


「報われない努力」

そういうものはたくさんある。


たけれども

「無駄な努力」

そうなってしまうかは自分次第、


どんなに報われなかったとしても、

努力の先にたどり着くと、


「世界の見え方が変わってしまう」


そういう経験が待ち構えているはず、


努力って、

報われるためにするものじゃない。

自分を納得させてあげるためにすること、


「ここまでしたんだからもういいや」


そう思えたならば、

もう十分じゃないか。


そうやって、

「諦める」のではなくて「受け入れていく」


死に向かって歩みを進める我々の生き方って、

そういうものなんじゃないかな。


色んなことができなくなる。

だけれどもできなくなった先に見つかる喜びもある。

歳を取るって悪いことばかりではないはず、


「若い頃に戻りたい」って、

誰しも一度は思うのかもしれないけれど、


若い頃にはどうしようもなかったから、

今につながっている。

 

いろんな経験をしたから、

あの時にもっとできたはずだって思うけれど、

その時には「もっと」なんてできなかったのだ。


人生で一番若いのはいつだって「イマ」

だからもっとやりたいことをすればいい。


できなくなる前に、

やりたいことをすればいい。

 

できなくなってからでは手遅れ、

 

だから人は「イマ」を裏切らないために、

努力するんじゃないのかな。

 

これ以上、

自分を嫌いにはなりたくない。