「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

自分の人生に謝ったほうがいい

f:id:tureture30:20190824073058j:image

 

先日友人から言われた言葉、


真剣な話をしていたのだけれども、

あまりにも言葉遊びがすぎるので、

話しているだけで疲れるものだから、


「ごめん。もうそのことは話したくないわ」

そう伝えた。


そうすると急に不機嫌になって、

黙り込んだ。


「せっかく気持ちよく話していたのに」

そんなところだろうか。


めんどくさくなって店を出ると、

気持ちが収まらないのか、

やけに突っかかってくる。


「ごめん。ごめん」と、

適当にあしらっていると一言、


「俺に謝るよりも自分の人生に謝ったほうがいいんじゃないの?」


自分が話したいことに夢中になって、

相手が疲れ切っていることなどお構い無しで、

一方的に難しい言葉を並べて自己満足の理論を展開、

それを遮られると不機嫌になり激高する。


まるで自分が話していることは世界の真理なのだから、

ありがたく聞きなさいよとでも言わんばかり、


「こいつは駄目だ」

そう思った。


しばらく会わないと、

人って合わなくなってしまうものなのかな。


あまりにも目指すところが変わってしまったようで、

言葉以上に痛みを伴う経験だった。


変わったのは地に足ついた私のほうかもしれないけれど、


崇高なるお話はもうたくさん、


世界の真理だとか、

生と死についてだとか、

宗教やら哲学についてだとか、


「精一杯、幸せ目指して生きていればいいんじゃないの?」


知識には溺れてしまうのだ。


知識が増えるほどに苦しみは増す。

「原罪」ってその戒めでしょ。


「愚民であれ」

そうは思わない。


だけれども、

知識を得るたびに苦しみが増すのならば、

そんなものは最低限しか必要ないな。


目に見えない「救い」よりも、

目の前の「課題」


人生って、

課題が次々と出てくるのだから、

結局は自分でそれを解決するしかない。


それを乗り越えた経験ってものが、

自分の「信仰」になるんじゃないのかな。


そうやって、

辛い思いを繰り返す中で、

それを乗り越えた「自分の可能性」を信じてあげるしかない。


そして最後は、

「やりきった自分」を認めてあげて、

その過程で色々なものを手放して、

後悔のない最後を迎えるんじゃないかな。


そういう生き方がきっと、

残された人の励みにもなる。


「生死に意味をもたらしたこと」


その希望の連鎖が、

知恵の実を食べて人が手に入れた、

最高の報酬なのかもしれない。


私は私で頑張って生きている。

だから私は自分の人生に謝ったりなんてしない。