明確な理想を掲げている人ほど、
ともすれば「独善」に陥ってしまう。
自分のやり方に自信があるから、
そうではないものを受け入れられなくなるし、
ひどいのになると誰かにそれを強要する。
人は個体が違えば別の生き物だから、
それぞれが生きてきた中で培った「やり方」というものがある。
それを理解し合う作業が、
「愛」だとか「恋」だとかそういうもの、
一緒になるまでに、
その作業を十分に行わないと、
一緒になってから大きなすれ違いがあるかもしれない。
一度は気持ちがつながったとしても、
時を重ねるうちに徐々に距離が離れてしまう。
そういうことだってある。
「自己責任」
どこまで行ってもそういうこと、
もしもうまく行かなかった場合に、
そういう作業を怠ったことも、
そういう相手を選んだことも、
気持ちが通じているはずと油断して、
離れていく気持ちに気が付かなかったことも、
全ては自己責任なのだ。
誰も責任をとってはくれない。
だから最後は自分で責任を取らなければならない。
それは痛みを伴う作業で、
それに耐えるくらいならば、
手放してしまったほうが楽、
そういうこともある。
手放すことを含めて選ぶのは自分自身、
そしてその選択を受け入れる作業が必要、
「あの時にああしていたら」
それを次に活かすことはできても、
その時に戻ることはできないのだ。
それを受け入れることができないから、
だから「自分の正しさ」を証明することに躍起になる。
そうして「強要」するのだ。
「自分のようにはなってほしくないんだよ」
相手のことを思っての行動、
そういう強要の仕方もあるけれど、
その先にあるものがどのような影響を与えるか。
それは相手が決めること、
絶対に正しい選択なんてないし、
絶対に正しい人生なんてない。
だから、
唯一できることは、
選択した先に責任を持つこと、
誰かに頼ってもいい。
助けてもらったっていい。
だけれども自分の選択に責任を持つこと、
どんなに苦しくたって、
最後はそうするしかないのだ。