生きていれば色々ある。
そのたびに努力して乗り越えて、
そうやって人生を紡いでいく。
「より良く生きたい」
「今より幸せになりたい」
そう掲げるのは結構なこと、
だけれどもそればかりが目的になって、
「上へ上へ」って、
「前に前に」って、
なんだか疲れてしまったな。
「昨日の自分よりも一歩前へ」だとか、
「成長し続けることが人生」だとか、
安っぽいキーワードを使って焚きつける。
そういうのって多いけれど、
自分が何を目指しているのか。
そんなことは自分にしかわからない。
人の示した人生を生きたところで、
どこかで気がついてしまうのだ。
「何かがおかしいな」
結局は100%望み通りのメソッドなんて存在しない。
自分で自分の人生を考えてあげないといけないのだ。
前ばかりみていると気が付かない。
今自分が立っている場所だとか、
自分の周りにいる人だとか、
随分前に置き去りにしてきた、
「弱い自分」だとか、
「何で弱い自分を置き去りにしたんだっけ?」
その問いに答えられないようならば、
きっと誰かの示した人生を歩いてきたってこと、
「自分を捨てる」
それってとても大変な作業、
その理由を答えられないなんて、
自分と向き合っていない証拠なんじゃないかな。
「人から言われたから見捨てたんでしょ」
弱い自分のことを、
人は本質的にそんなに極端に変われるものではない。
その事に気がついたならば、
来た道をたどってでも和解しないと、
「弱い自分」
もう一度向き合うのは大変だけれども、
先に進んだ分だけ器は大きくなったはず、
今ならば少しばかり空いたスペースに、
「弱い自分」の居場所を作ってあげられるかもしれない。
そのために器って大きくするのかな。
辛さや苦しさを乗り越えて、
自分の心を広げてあげるのかな。
「痛みや弱さ」
そういうものを受け入れるスペースを作ってあげるために、
人って成長するのかな。