自分がそれを信じて、
それに向けて邁進することはよし、
人にそれを話して理解を求めるまではよし、
だけれども人にそれを強要する。
それでは独善的なだけ、
そうなってしまったら、
どんなに素晴らしい理想だとしても、
それ自体が色あせてしまう。
「理想」は自分の中で育ててあげればいい。
それより上でも下でもない。
本当に素晴らしい「理想」であれば、
その人の姿を通して理解は広がるはず、
変に伝えようとする必要はないのだ。
きっとそういうもの、
「多弁は不安の裏返し」
必要以上に多くを語るのならば、
それは「私は不安ですよ」って、
自己紹介しているようなもの、
ありのままで接する中で、
気持ちが相手に伝わればいいし、
伝わらなければ仕方がない。
人の気持ちって難しい。
気持ちを伝えないと不安を煽ってしまうくせに、
気持ちを伝えすぎると胡散臭く見えてしまう。
だから姿や行動で語ること、
もちろん必要な場合は、
言葉でもきちんと伝えた上で、
その先に待ち受けているものが、
望むものでもそうではなくても、
その姿勢を変えないこと、
成功すると人は、
成功した方法にこだわってしまう。
失敗すると人は、
その方法を変えることにこだわってしまう。
「姿と行動で示すこと」
それは変えてはならないこと、
うわべだけ取り繕っていると、
気がつかない速度で虚しさが心を蝕んでいく。
心の底から自信を持って掲げられる理想以外は、
自分ではなくて誰かの理想、
そんなものはどこか端っこにでも置いて、
暇なときにだけ手をつけてやればいい。
本当にやりたいことに時間を割かないと、
人生はあっという間に終わってしまう。
時間の使い方を考えないといけない。